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2014年10月

2014年10月31日 (金)

サービスの価値

 技術者上がり(崩れ)のマネジャと話していると、「サービスを提供するまでの期間」を決めたがらない。あれやこれや理由を付けて「分からない」とか「ケース・バイ・ケース」と仰る。
 そこで、技術的な請負サービスの価値について考えてみた。

技術的な請負サービスの価値を

サービスの価値 =   サービスの質 × 量 
提供までの期間

とすると、「提供までの期間」が短いほど「サービスの価値」は高く、サービスを提供する側にとっては「提供までの期間」を定めることは「サービスの価値」を規定・宣言することである。

 逆に、「提供までの期間」を明確にしないことや「提供までの期間」が分からないということは、自らが提供する「サービスの価値」が不明であると明言していることと変わらない。

 ただし、そのサービスが提供
できるか/できないか が分からない場合は、「提供までの期間」は有限か/無限かであるから「サービスの価値」は有限か/ゼロであり、「提供までの期間」が現実的であれば、期間を定めることは重要でない。

 サービスを提供する側が職人気質だと、「そんなもんやってみないとわからない」となりがちだが、 これはサービスを提供する側の都合だ。
サービスの提供を受ける側は、そのサービスを受けるために必要な費用、期間、リスクについて知りたいと考えるのは当然である。

これが、サービスを提供する側とサービスの提供を受ける側とのギャップである。

 リスクは説明できる。費用は期間が分かれば説明できる。問題はサービス提供までの期間である。

Fg

横軸:「サービス提供までの期間」(週)、縦軸:全体に占める割合とすると、この分布では、「サービス提供までの期間」はどこまで行ってもゼロにならない。つまり、サービスが提供できない可能性は存在する。

 自分が提供しているサービスがこのような分布の場合、「期間はどれくらいかかりますか?」の問いに職人気質の技術屋は、「分かりません」と答える。確かに、極めて少ないが、可能性はあるので間違ってはいない。

 しかしである。この分布では、58%は3週以内に、78%は4週以内に、88%は5週以内にサービスが提供できるのである。8週以上必要な割合は1.4%である。

 それでも「サービスはいつ提供できるか分かりません」と言うのだろうか。(統計を取っていないとか、一様分布であるなら話は別だが)

 技術を知らないマネジャが根性と気合で「1週」というのも我慢する。職人気質の技術屋が「分からない」というのも百歩譲って我慢しよう。しかし、技術者のマネジメントを行うマネジャが「分からない」はないだろう。

 「サービス提供までの期間」を3週、4週あるいは8週とするかという議論なら分かるが「分かりません」というのはありえない。

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 まあ、σ^^)も最近まで「分かりません」と言っていたので大きなことは言えないのだが...

2014年10月29日 (水)

桜色の魂 チャスラフスカはなぜ日本人を50年も愛したのか

桜色の魂~チャスラフスカはなぜ日本人を50年も愛したのか 長田 渚左 集英社
Photo

丁寧な取材をもとにしたノンフィクション。

東京五輪のチャフラフスカは記憶にない。
メキシコ五輪はサッカー日本チームの銅メダルは覚えていないのだけれどチャフラフスカは僅かに覚えている。

 このときソ連のプラハ侵攻があったことや、二千語宣言に署名したことで迫害されていたことは全く知らなかった。

ベラ・チャフラフスカ氏と親交の深かった故遠藤幸雄氏のご子息遠藤一幸氏のブログに、ベラ・チャフラフスカ氏に関するエントリがあった。


ベラ・チャフラフスカ氏は2016/8/30逝去されました。ご冥福をお祈りいたします。 2016/9/5

2014年10月27日 (月)

無意識の権力

田坂広志氏のメルマガ「風の便り」特選163便は「無意識の権力

引用すると、

政治の権力について
しばしば語られる小話があります。

ある国で、軍事クーデターが起りました。
クーデターの首謀者である将軍は、
民政を倒して独裁体制を敷いたのですが、
そのクーデターを国民が支持しているかが
気になりました。

そこで、その将軍は、年寄りの労働者に変装し、
人々の集まる映画館に行ってみました。

映画の前のニュース放映のとき、
最近のクーデターが報道され、
画面に、戦車に乗った将軍が登場しました。
すると、映画館にいた観客は全員総立ちになり、
将軍を誉め讃える拍手を送ったのです。

満場の観客が拍手する姿を見て、
「このクーデターは、国民から支持されている」と
感激して椅子に座り込んでいた将軍に、
隣で立って拍手をしていた若い労働者が、ささやきました。

 おい、じいさん、拍手しな。

 拍手しないと、殺されるぜ。

 思わず笑いを誘う、この小話。

しかし、一人のマネジャーとして
この話を読むとき、
それが、政治についての風刺であることを超え、
マネジメントについての警句であるように
思えてきます。

なぜなら、

マネジャーが無意識に振り回す権力

それは、しばしば、メンバーから、
自分の好む意見を引き出してしまうからです。

2004年11月1日
田坂広志

 マネジャにとって無意識の権力を振り回しているのかどうか、自ら判断することは難しい。 悩ましいなあ。

 マネジャ自身のチェック機能(人や仕組)を持っていることが重要なのだろう。

 この命題は難しい。

2014年10月24日 (金)

優劣のかなたに

優劣のかなたに 大村はま 三笠書房
Photo_2

「おしえるということ」(2012/9/20)で大村はま先生に教えてもらった人はうらやましいと書いた。
この本は、大村はま先生の教え子である苅谷夏子氏が大村先生の著書から60の言葉を選び出し、文章を添えたものである。

 この本の表題となっている「優劣のかなたに」は大村先生の遺筆となった詩で、鳴門教育大学付属図書館のサイトに大村はま先生について と題するページがあって、そのページの最後のほうに優劣のかなたに.PDFがある。
この詩の最後の部分が

学びひたり
教えひたろう
優劣のかなたで。

である。

 学ぶということは、他人と自分との優劣をつけることではなく、教えることは、生徒に優劣をつけることではない。

ということか。

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 苅谷夏子氏も後書きで書いておられるように、70年以上にわたり教育に携わってこられた先生の言葉の中から60編を選ぶことが大変な作業であることは容易に想像できる。

 偉人の名言集を読むと、人となりが全て分かったような気になるが、その名言が発せられるまでの過程を知らなければ真意は分からないのだろうと思う。

2014年10月22日 (水)

自分で考えられない魔法

 田舎から出てきて初めて通勤で満員電車に乗った時、毎日乗るのはムリ!と思った。
朝やっとの思いで出勤したら1日分の仕事が終わった時のようにグッタリだった。
毎日乗っているとそのうちに満員電車にも慣れた。自分を主張せず水中に漂う水草のように振舞うと疲れないことが分かった。

 同じように、自ら考えて自ら行動する者にとっては、自分で考えないで誰かの指示で行動しなければならないという世界は如何にも窮屈だ。しかし、思考停止して誰かの指示で行動することに慣れると非常に楽だ。

 自分で考えられない魔法を掛けた輩がいる。魔法をかけられて、誰かの指示でしか行動できない人たちが周りに多くいるので、この人たちの魔法を解こうと思い立った。

 しかし、魔法に掛かった人達をよく見ると、魔法に掛かったフリをしていながら、自分で考えて行動している人がいることに気が付いた。更によく見ると、魔法に掛かったフリをして、思考停止している人もいることも分かった。結局、魔法に掛かった人などいなかったのではないのかと思う。

 タチが悪いのは、魔法に掛かったフリをして、思考停止している人達だ。
魔法に掛かっていることを言い訳に思考停止して、自ら考えて行動することを放棄している。おせっかい者が魔法を解くと、自ら考えて行動しなくてはならないので魔法を解こうとすると「余計なことだ」と文句を言うのである。

 本当に害をなしているのは、魔法を掛けた輩ではなく、魔法にかかったフリをして思考停止している輩だ。

 更に厄介なのは、魔法にかかったフリを貫いて思考停止を貫いている輩だ。

2014年10月16日 (木)

スターバックスはなぜ値下げもテレビCMもしないのに強いブランドでいられるのか?

スターバックスはなぜ値下げもテレビCMもしないのに強いブランドでいられるのか? ジョン・ムーア ディスカヴァー・トゥエンティワン
Cm

書いてあることは至極真っ当で特別なことはない。特別なことは、真っ当なことをきちんと実行すること。

無批判に従うのでなく、自分で決めて従う

無批判に従わせる環境を助長する企業は実に多い。基本的に彼らが行うのは、従業員を育てることではなく操り人形に仕立てることである。会社のミッション宣言を口先で繰り返すだけの人員を抱えることは、会社として危険で無謀な行為だ。

無批判に従うのでなく、自分で決めて従う人を増やすためにリーダに必要な3つのスキルは「共感・傾聴・誠実」だという。

ミッションを熱く説くことは重要だが、無批判に従う者を増やさないことがもっと重要。


娘曰く、NYのスタバは心地よい空間を楽しむような店ではなかったと。

日本のスタバはこれから、どうなるのだろうか?

2014年10月14日 (火)

分からないことを分かるようにする

 「分からないことが分からない」課題に取り組んで「分からないことが分かる」ようにするにはどうするかは

分からないことが分からない(2013/10/15)
分からないことが分からない(2)(2013/10/24)
分からないことがわからない(3)(2013/10/28)

で、「分かる」ステップは「分からないことが分からない」→「分からないことが分かる」→「分からないことに関する形式知、暗黙知を得る」→「抽象化、体系化する」→「分かった」
と書いた。

 得体の知れないメモリを読むというChipChallenge
をやってみて、読めた人に共通するのは、調べる、やってみるという行動を実際に起こした、というごくありふれた結果になった。

 形式知、暗黙知の獲得について、

このようなモデルを考えてみた。

Photo

 最初の関門は知識を得ること。

 外的、内的な刺激があると、知識獲得欲求は高くなるが放っておくと元に戻ってしまう。
ここで、ある一定のレベルを超えると一過性でなく継続的に知識を得るようになる。
例えば、分かる人に教えてもらうとか、本を読むとか、調べるとか。

 この状態で更に刺激があって、一定のレベルを超えると、継続的に得た知識を行動に移すようになる。

 そして、形式知と暗黙知を得ることができるようになる。分かるようになるためには「抽象化、体系化する」能力は必要なのだけれど。

 このモデルでは最初の状態(知的好奇心)に大きく影響される。

知的好奇心が高ければ、刺激により、知識獲得レベル、行動レベルを容易に超えることができる。

 ところが、知的好奇心の低い人は、少々のレベルでは知識獲得レベル、行動レベルを超えることができないので、いつまでたっても、分からないことは分からないままだ。

 最初は外部から刺激を与えられているが、自分で自分に刺激を与えることができるようになる。

 知的好奇心が高い人、自分で自分に刺激を与えることができる人は「分かるようになる」可能性は高い。そうでない人には、
外部から、知識獲得レベル、行動レベルを超えられるように、継続的に刺激を与えることが必要だと思う。

2

 まあありふれた結論だ。

 知的好奇心は先天的なものだからか後天的に変えることはできない。変えることができるのは、自分で自分に刺激を与えることができるようになること。

2014年10月12日 (日)

RX-7 コスモスポーツ

 丸の内OAZOから丸の内線東京駅に向かう地下通路に日本生命ビルがあって、ここにAUTO artのギャラリーがある。丸善に寄った帰りはいつも立ち止まって暫し眺めている。

 スーパーカー世代ではない。RX-7を探すと3代目が置いてあった。
Rx71 Rx72

オヤジ世代は初代でないとねえ。

コスモスポーツは無いかと探すと、あった。^^)
Cosmosports

乗ったことは無いのだけれど、懐かしいなあ MAT VEHICLE

2014年10月10日 (金)

当事者意識

 男女共同参画について考えをまとめ文章にして読んでみたら、まるで評論家のようだった。今の職場には女性がいないので、2020年30%と言われても当事者意識はない。

 今の職場の30%が女性だったらと考えてみると、具体的な問題が見えてきた、そして具体的な解決策が簡単に見付からないことと自分にできることが分かった。

 男女共同参画が進まないのは、男社会のオッサン達の当事者意識が無いためだろう。

閑話休題

 つい最近、目の前にある問題をマネジャの人達に提議してみたら、当事者意識が無い人が結構多いことが分かった。(前から気がついていたのだけれど...)

 課題と改善案はまるで評論家が書いた文章のようだし、改善案の中に、「自分ができること」が無い。

 改善案は判で押したように「人と道具を増やす」だ。いい年をしたオヤジが「人と道具を増やす」ことが最も難しいということを知らないわけが無い。つまり「やりたくない」言訳だ。

 人間のタイプには火を近づけると燃え上がる可燃性の人、火を近づけても燃えない不燃性の人、ひとりでに燃え上がる自燃性の人がいる、ということが京セラフィロソフィーにある。

 自分には不燃性の人を燃え上がらせる能力は残念ながら無い。嘆いていても始まらないので、せめて可燃性の人に火を着けて回ろう。

2014年10月 8日 (水)

ジブリの教科書7 紅の豚

ジブリの教科書7 紅の豚 スタジオジブリ 文春文庫編集部
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 「宮崎駿監督による演出覚え書き」によると「紅の豚」は「疲れて脳細胞が豆腐になった中年男のためのマンガ映画」らしい。

 宮崎駿氏と同じ世代(当時50歳くらい)にむけたメッセージだろう。この頃の中年は、焼け跡を経験し、青春時代に「安保反対を叫び」、がむしゃらに働いて高度成長し、オイルショックも乗り越えて、バブルに踊り、バブルがはじけて呆然としていた。(いまは年金貰って悠々自適?)

 σ^^)はこの映画を1992に見ていない。当時2人目の子供が生まれ、転勤が重なって映画どころではなかった。以来見る機会がなかったのだがつい最近見た。

 1992当時31歳で見ていたら、航空活劇+「飛ばねぇ豚は、ただの豚だ。」カッコええ!!だったような気がする。50歳を超えてから見ると、「豚でい続けることって大変だよね」と思ってしまう。

 この本には映画評がある。映画評を読むといつも思うのだが、はっきり言ってそこまで深読みするのか?読み解いてくれなくていいよ!! という感じだ。
面白いと思ったのは二つ。

「宮崎駿×加藤登紀子対談 もう一度、時には昔の話を」

 加藤登紀子氏は、
「『あの頃』という言葉を共通語として言える世代はいいよな」
と30代の記者にいわれたそうだ。

 対談が1992だから当時30代の記者は、ちょうど我々の世代だ。
宮崎駿氏(1941年生)や加藤登紀子氏(1943年生)らは後期の「焼け跡世代」で、その後の「団塊の世代」とあわせた「全共闘時代」が60年安保、70年安保反対運動の主役であった。

 二人とも「あの頃」は、実は何もなかったというが、宮崎駿氏は東映動画労働組合の書記長だったし、加藤登紀子氏が活動家の亡夫と獄中結婚したのは有名だ。

 「全共闘時代」は青春時代に世の中に対して主張した世代だ。高度成長で「戦後日本」を作りバブル崩壊で「戦後日本」を終わらせた。だから青春時代を引きずっている「豚」が羨ましい。

 我々の世代は60年安保のときにはまだ生まれていないし、70年安保のときは田舎の小学生だからテレビの中の出来事だった。

 その後、我々の世代は「しらけ世代」、「新人類世代」といわれ、世の中に対して何かを主張した世代ではない。我々の世代の「あの頃」はキャンディーズ解散くらいだ。
「キャンディーズ解散」世代は「安保反対」世代が羨ましくもあり、妬ましいのである。

「イタロ・カプローニ 祖父ジャンニ・カプローニが生きた『紅の豚』の時代」

 宮崎駿監督の映画のなかで「紅の豚」と「風立ちぬ」は同じ時代を描いている。
第1次世界大戦から世界恐慌、第2次世界大戦の足音が近づく時代である。
「風立ちぬ」を見て疑問に感じたのは、カプローニって誰?なぜ、堀越二郎と会ったことがないカプローニが登場するの?であった。

 この本に、カプローニの孫のイタロ・カプローニ氏の手記が掲載されている。
イタロ・カプローニ氏は「紅の豚」を見て、祖父ジャンニ・カプローニの飛行機が登場しないことが残念で、所蔵している書籍を宮崎駿氏に送ったそうだ。

 宮崎駿氏は、最後のファシズムと呼ばれているジャン・カプローニと零戦の設計者堀越二郎を戦争の加担者ではなく、「『美しいもの』のために迷い無く邁進した」技術者として描こうとしたのだろう。

 戦争の加担者として「風立ちぬ」を見ると、最後の部分がよく分からなかった。


2014年10月 5日 (日)

PSoC 4 Prototyping Kit

PSoC 4 Pioneer kitの無償キットに応募したのだがハズレたようなのでPSoC4Prottyping Kitを買ってみた。
Psoc4prototypingkit

特長 CY8CKIT-049-42XX
PSoC4品番: CY8C4245AXI-483
CPU速度: 48MHz
フラッシュ: 32KB
SRAM: 4KB
ユニバーサルデジタルブロック: 4
コンパレータ: 2
オペアンプ: 2
ADC: 1 x 12ビットSAR(1Msps)
CapSense: はい
ダイレクトLCD駆動: はい
設定可能なI2C/SPI/UART: 2

Cy8c4245axi483

↑PSoC 4
↓CY7C65211 USB-Serial,I2C,SPIなど高機能なチップ
Cy7c65211

 PSoC1の開発ツールはPSoC Designerでいかにもアナログブロックの配線をしている感じだった。PSoC4の開発ツールはPSoC Creatorでモジュール化されたコンポーネントが準備されていて分かりやすくなっている。
Psoccreater

 コンポーネントには、フィルタ、Opampだけでなくファイルシステムや、USB-UART(CDC class)、などが準備されている。

2014年10月 3日 (金)

スタバのエキナカ進出

 2週連続で新幹線を使う出張があった。京葉線から乗り換えるので東海道新幹線南乗換え口を利用している。

 出発まで時間があったので、コーヒーでも買っていこうと改札を通って左側の売店に行くとスタバに変わっていた。 しかし、長蛇の列である。時間がないので車内販売のコーヒーを買った。

 帰り、静岡から新幹線に乗ったのだが静岡駅にもスタバがあった。
ラテを注文すると「何分の便ですか」と聞いてくれる。発車に間に合うように淹れてくれるようだ。(さすがだね。)

 次の週も新幹線での出張があり出発まで30分時間があったので同じスタバに並んだが回転が遅い。列の先頭から3番目まで粘ったが時間がないので結局あきらめた。

 観察していると、店員は5人いるが注文カウンタが1つなので待ち行列ができている。1人の店員は並んでいる客にメニューを見せているが注文カウンタ2つにすればいいのにとイラっとする。とさらに厄介な客がいて待ち行列が伸びる。

 JRが誘致したのかスタバが売り込んだのかは分からないが新幹線の改札の内側に出店したのは判断ミスではないのか。

 改札内の待合所のベンチはスタバのコンセプト「第3の空間」ではないような気がするし、スタバは列車に乗る前に「とりあえず買うコーヒー」というブランドでもない。

 缶コーヒーではないコーヒーが必要なのであってスタバでなくてもよい。

業績は上方修正らしいが、スタバ、ブレてない?

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