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2014年12月 4日 (木)

イェルサレムのアイヒマン――悪の陳腐さについての報告

イェルサレムのアイヒマン――悪の陳腐さについての報告 ハンナ・アーレント(著), 大久保 和郎(翻訳) みすず書房

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 思考停止繋がり(自分で考えられない魔法(2014/10/22))で読んでみた。
概要はここ(http://ja.wikipedia.org/wiki/イェスラエルのアイヒマン)

裁判官はその判決において、当然のことながら、このような犯罪は国家の資金を動かす巨大な官僚組織によってしかおこなわれ得ないと認めた。しかしそれが犯罪である限りは微小なものであろうとなかろうと機械の全ての歯車は法廷に引き出されるや否や犯人に、すなわち人間に還元される。

 自分が組織の歯車だと考えて思考停止していようがいまいが責任は問われるということ。結果責任を考えると不作為も同じだ。
思考停止して、なすべきことをせず誰かに損害を与えた、または、当然得るべき利益が得られなかったことについて、上から命令がなかったことは言い訳にならないということだろう。

 ハンナ・アーレント氏は全体主義に潜む「悪の凡庸」を指摘しているのだが、これほど大きな犯罪にした原因は官僚組織にあるのではないだろうか。

 官僚組織は、組織を構成する個人の能力に依らないための組織だ。
高い能力を持った個人を集めると結果が出るのあたりまえだが、少数精鋭という言葉あるように、高い能力を持った者を多数集めるのは極めて困難である。官僚組織は、大量に集めることができる凡人を使って結果を出す仕組みである。

 つまり、全体主義において個人が思考停止することで凡庸な悪が顕在化するが、最善を尽くすことをしない思考停止した者の集合である官僚組織があったために巨大な悪を実行できたのではないだろうか。

 代表的な官僚組織は、政府、軍隊である。官僚組織であるナチスにおいては、無数の凡庸なアイヒマンがいたからヒトラーの意思が実現されたとの見方ができるのではないか。

 今日も意思の実現機能として官僚組織が存在する。この官僚組織を誰に委ねるかについて思考停止するかしないかが全体主義と民主主義の分かれ目だろう。


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