「なぜ」を語る
最近職場で某氏と「なぜやらないのか」という議論をしていたときに「通達に書いてあるから」と言われた。 某氏は普段からその通達を非難していたので、論拠にするとは思わなかった。
通達は何かしらの理由があって作られるもので、「なぜ」を問いかけた結果であるから、通達を「なぜ」根拠にするのは本末転倒である。
最近「なぜ」という議論がないことに気が付いた。誰かに説明する際にもを「なぜ」は説明されず「何を」「どうする」から始まる。
しかし、「なぜ」を語らないと人は納得できない。一時なら「なぜ」を棚上げできるけれど、納得できない仕事をしていると疲弊する。(している。)
通達やマニュアルには「何を」「どうする」が書かれていて、「なぜ」を理解しなくても実行できる。 バイトに「なぜ」を説明しないでマニュアルを渡して仕事ができるのは、責任が限定的だからだ。バイトが責任を持って仕事をしている企業はバイトにも「なぜ」を説明しているようだ。
責任を持って仕事をしてもらいたいなら「なぜ」を語らなければならない。説明ではなく「語る」ことが必要だろう。
今現場に渦巻いている経営層への不信感、現場が思考停止しているように見える原因は「なぜ」を語る文化が無くなったことではないだろうか。
スゴイことを発見したと思ったら、
WHYから始めよ!(2013/05/22) で
WHYで周囲をインスパイアするのはトップでなくても良いのではないかと思うようになった。かつてWHYリーダにインスパイアされた者が自分の周囲にWHYを語る・行動することが、創業者の意思を継承していくことかと思う。
と書いているではないか。
WHYを語ろう。
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