愚痴の沼、評論の砂漠
何か問題を発見して、解決に向けて行動するまでには
- 問題の存在に気づく
- 愚痴を言う
- 問題の存在を分析する
- 解決策を考える
- 解決に向けて行動する
のステップが必要だ。
「1:問題の所在に気づく」から、すぐに「5:解決に向けて行動」できればよいのだが、できそうでできない。
(1)から(4)までは、ただの「文句たれ」で、せめて「2:愚痴を言う」「3:問題の所在を分析する」はスキップしたいところだが、なかなかスキップできない。
むしろ、通過することが必要なのかもしれない。
- 文句ばかり言っていてもダメ
- 評論ばかりしていてもダメ
だと気がつかなければ、次の段階に進めないのだろう。
2:愚痴を言う
愚痴はネガティブな感情なので、シラフで聞くのは辛いし言うのも辛い。そこで一杯引っ掛けてとなる。若かった頃は、腐っていたので、飲み屋でよく愚痴っていた。
最近現場の愚痴を聞くことが多くなったような気がする。
現場の本音を聞くチャンスなので、努めて聞くようにしているのだが飲んでいても愚痴を聞くのは辛くなるときがあって「愚痴ばかり言っていてもダメだろう!」などと、つい本音を言ってしまう。
飲んで愚痴を吐くと、そこそこストレス解消できるので、なかなかこの段階から抜け出せない。
これが愚痴の沼
3:問題の存在を分析する
気が済むまで愚痴を吐くと、問題の分析をはじめる。
愚痴を言うより建設的な気がするが、この段階では解決が目的ではないので、全く建設的ではない。それが証拠に自分に原因があるような分析は避けている。
4:解決策を考える
この段階まで来ると、さすがに気が滅入ってくるので、ようやく解決策を考え始めるのだが、この段階でもまだ建設的ではなく、たいては正論か、理想論か、極論である。たいそう立派な意見で世の中でも変えそうな勢いである。
(2)から(4)までは建設的な意見はなく、不毛の議論である
自分を第三者的立場に置いて正論を吐くのは気持ちが良いので、この段階もなかなか抜け出せない。
これが評論の砂漠
5:解決に向けて行動する
(3)から(4)が不毛の議論であることに気が付いた者は、ようやく実現可能な解決策を考え始めるのだが、具体的かつ実現可能な解決策を考えて、はじめて自分にできることはわずかであることに気がつく。
(2)から(4)までの段階は、基本他人が行動すべきとなのでいくらでも思いつくけれど、自分が行動できることは少ない。
このことに気がついて、初めて現実的な行動が取れるのである。
つまり、(2)から(4)の段階は問題解決の意思はなくただの「文句たれ」だ。できることは少ないけど行動している(5)とは雲泥の差だ。
愚痴を言っている人には思い切り言わせてあげよう。
いくら諭しても、いくら叱っても、愚痴の沼、評論の砂漠を乗り越えることはできない。
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