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2015年4月21日 (火)

自分を枠に嵌める <枠を「超える」ではなく「認識しない」>

 世の中には、目に見える枠や目に見えない枠など多くの枠がある。
σ^^)は枠があると鬱陶しくて壊したり越えたりしないと気がすまない性質だけど、自分を枠をはめるのが上手い人、枠がないと落ち着かない人がいるようだ。

 多くの場合、枠を超えた部分は評価されないどころか、秩序の破壊者として見られるので評価は下がる。つまり、丁度枠に収まるようにすると評価は高い。

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 古い体質の組織で評価が高い人は既存の枠を満たすような人だ。そもそも、日本の教育がこの評価方式なので簡単には変わりそうにない。

 枠に収まることを重要視する人は、10年先20年先その枠が永遠に合理的だと思っているのだろう。若いか年寄りかではなく枠が遠い将来まで合理的だと思っているのだろう、枠があやふやな時には自ら明確な枠を求めたりする。

 その枠が10年先20年先まで合理的であれば問題はないのだが、その期待は極めて薄い。古い体質の組織でも10年先20年先のことは分からなくなってきたので、枠を超える分野をもっていることが重要になる。

 過去に、枠が変わり枠を超えていた部分が評価されるようになったことがあった。

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しかし、これはたまたま枠を超えていた部分が評価されただけで、枠が変わることを意識して枠を超えていたわけではない。次にどの部分が評価されるかは全く分からない。

 枠を超えるなら将来評価される分野でなどと考える人は、枠が変わってもやっぱり枠に合わせようと考えている。

 重要なことは、枠が変わってもなお枠を超えている部分を持っていることだ。

 若いうちは特に自ら進んで自分を枠に嵌める必要などない。歳をとればいやおうなしに枠に嵌められる。

 「枠を超える」ではなく「枠を意識しない」ことが重要だと思う。

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