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2015年9月14日 (月)

教育における訓練と教養

 鹿児島県知事の発言が炎上しているようだ

「鹿児島県知事 サインコサイン」で検索するとたくさん引っ掛かる。 

 鹿児島県県総合教育会議のページ (https://www.pref.kagoshima.jp/kyoiku-bunka/school/sogokyoiku/index.html) にある。件の発言があった第2回の議事録はまだ掲載されていない。

 そのあとの釈明会見の記事が (http://logmi.jp/87382)にある。突っ込みどころ満載の発言&答弁だったようだ。

 ネットで見付かるのは批判ばかり、その中で、この意見は解析的だ→論理の出来ない人に三角関数は要らない?(http://blog.livedoor.jp/tsuchiyano/archives/52144009.html)

 議事録を読んでいないので、釈明会見だけ読んで、「女の子にサイン、コサインを教えて何になるのかな?」の後半「サイン、コサインを教えて何になるのかな?」を教育と訓練という違う切り口で考えてみた。

 「使わない知識は学ばなくてよい」という考え方はありだ。ただし、それは職業訓練。

 「使わないかもしれないことを学ぶ」ことを助けるこれが教養・教育。

 実利を追求して訓練(暗記)すると深い教養を得ることはできないし、教育に即効性を期待することはできない。

 釈明会見の中で

「『君たちね、英語の単語ひとつ覚えるよりも、世の中の草花の名前をひとつ覚えたほうが、人生は豊かになるんだよ』というのが、中学校のとき先生に教わったセンテンスだし。」

という恩師の言葉を引用しているけれど。

恩師が伝えたかったことは、

「試験に受かるために暗記だけしていてはいけない。試験に出ない知識を学ぶことが必要だ。」

だと思う。

 自分が何を学ぼうと、暗記しようと他人にとやかく言われる筋合いではない。しかし、教育に関わる者は少なくとも、訓練と教養・教育の違いは認識しておかなければならないと思う。

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