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2015年9月 2日 (水)

集合知とは何か <ネット時代の「知」のゆくえ>

集合知とは何か ネット時代の「知」のゆくえ 西垣通 中央公論新社

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 googleやwikipedia、SNS、ビッグデータなどの今流行の議論ではなく、「知」とはという哲学的な思考から始めているまじめな本。哲学の知識があると理解が進むと思う。

 透明でフラットなグローバル世界を作り、ネット集合知を利用して効率よく意識決定するという企ては、結局お粗末すぎることが分かった。
先ず、情報社会のイメージを変えることが大切である。グローバルでフラットな社会がただ一つあり、開かれた存在である個人がその中で自由に情報を交換できるという通俗的イメージは、捨て去ることにしよう。かわりに、ローカルな半独立の社会集団の連合体というイメージを持たなくてはならない。

  -中略-

では、こういった階層的な連合体としての情報社会において、ITはいかなる役割をもつべきなのだろうか。個人同士、集団同士をむすぶグローバルなネットはもちろん不可欠だが、それだけでは足りない。むしろ大切なのは、ローカルな社会集団内でのコミュニケーションの密度をあげ活性化していくためのITだろう。

 集合知の観点では、情報共有(6)(2015/08/04)

で書いた理想的なモデルはお粗末らしい。

 一方で、「階層的な連合体」は階層型組織に一見マッチするように見えるが、集合知を活用するための「階層的な連合体」は必ずしも組織管理のための階層と一致しないのではないか。

 また、集合知が正解に近づくには個々の多様性が必要だという。個が判断を行う際に異なる思考により判断するという多様性が重要らしい。

 似たような学歴の者を採用し、画一的なキャリアパスの下で、似たような者を昇任させれば多様性はなくなるのは当然だ。

 ウチのように多様性のない組織では集合知を活用するのは無理のようだ。

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