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2015年9月12日 (土)

人の器 <自分で大きくすることはできるのか?>

 これまで、セミナーやトレーニングを多く受講してきた。大抵最後にアンケートが用意されているが、それほど真面目に答えないことが多い。腹が立つほど失望したときには、気合いを入れてアンケートに書くが、建設的でないことが多いように思う。 (^^ゞ

 アンケートは一方通行なので、書いたことに対する返事を貰おうとは思っていないので、言い放しの意見になることが多い。

 一方で、トレーニングを主催する側になると、やはりアンケートを用意して受講者に答えてもらっている。

 時に気合いの入った回答がある。しかし、多くは 批判やクレームであったり、事実誤認、理想論を述べただけであったりだ。自分もそうだから気持ちは分かる。(^^;

 とあるトレーニングのアンケートに気合の入った回答があった。
正しい批判は受け入れ、いわれのない批判には事実誤認を解くためのフォローが必要ではないかと思い、周りに意見を求めると、「そこまでしなくても(^^;」と言う意見が多い。

 批判、クレーム、事実誤認、理想論、建設的意見ごちゃまぜの意見だからと流しても良いのだろうかと柄にもなく考えた。

 批判、クレーム、事実誤認、理想論、建設的意見ごちゃまぜの意見から

  • 正しい批判を受け入れて改善すること
  • クレーム、事実誤認から自己の改善点を見付けること、
  • 背反する理想と現実の落としどころを見付けること
  • 建設的な意見を実施に移すこと

は容易ではない。

 しかも、全てが解決できるわけでもない。それを承知の上で、真摯に受け止めることができるかどうか、これが人の器ではないだろうか。

 直接の担当であってもスルーする者はいるし、受け止める者もいる。問題は、更に上位の職にある者が、意見を受け止められるのかである。

 上位の職に就くだけの器があるかが問われる。

 組織はトップの器以上にならない。
年功序列的組織は人の器を昇任の条件にしないことが多い。
ところが、上位の職ほど大きな器が必要である。
つまり、器でない者が昇進するとその組織は相対的に器は小さくなる。

 人の器を大きくするのは難しい。
人の器は自己啓発本を読んだところで大きくなるものではない。

 自己啓発本に書いてある器の大きい人の思考様式・行動様式は聖人君子的な振る舞いだったりする。客観的に自分を観ると、聖人君子でもないし悟りを開いているわけでもない普通の(ちょっとヒネてる)オヤジだ。

 人の器は天与のものかと思っていたが、普通のオヤジでも、他人の思いを真摯に受け止めることで人の器が大きくなるのではないだろうかと思った。

 もし、これが真実ならば、自らの努力で器を大きくすることができるのではないか。

 試してみる価値はある。

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