あの日
あの日 小保方晴子 講談社
さすがに文春じゃない。
Netでも書評や感想、批判を多く見付けることができる。
読み終わって、スッキリする本ではない。「ただの言い訳」と批評する人も多いのだけれど、共同研究者と実名を挙げられた記者への憤りや怨念を感じる。
この騒動については、マスコミの報道くらいの知識しかない。また、この分野の専門知識もないので、STAP細胞がねつ造されたのか、小保方晴子氏が主張するように共同研究者の不正なのかは判断できない。
「判断できない。」という姿勢が重要なのだろうと思う。
人の噂(伝聞)は信用しないようにしている。生来、人を見る目がないので伝聞は客観的事実を確認するまで信用しないようにしている。
重要なことは「信用していない」が「疑っている」や「間違っている」にならないようにすることだと思う。ところが、マスコミがこれでもかと報道すると、知らず知らずのうちにマスコミの報道に引っ張られ「間違っている」の心証を持つようになる。この騒動もその典型だ。
何故マスコミやネットの書き込みをあれほど信用するのだろうか?と思う。(単に、自分の猜疑心が強い性格なだけ)
この本は当事者である小保方晴子氏の自己弁護と、特定の個人への非難だ。弁護だから自分に不利になる事実を晒す必要もないと思う。 当然、第三者である自分は真実かどうか判断はできない。判断しようとも思わない。ただ、自分の中では、一方的だったマスコミの報道とのバランスは取れたのかと思う。
人の話を聞くときに、人によって信頼度に差はある。いつも正しいことを言う人の信頼度は高いし、いつも正しくないことを言う人の信頼度は低くなる。
人の話は話半分に聞けとよく言われるが、信頼度のバイアスは排除できないし、排除する必要もないのだろう。毎日新聞と、NHKの信頼度をちょっと下げようと思った。
改めて重要だと思ったことは
- 利害が無い場合、判断できないことは無理して判断しない。
- 判断しなければならないときには客観的事実を基に判断する。
である。
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