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2016年4月 8日 (金)

人工知能は人間を超えるか -ディープラーニングの先にあるもの-

人工知能は人間を超えるか ディープラーニングの先にあるもの 松尾豊 角川

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 著者の松尾豊氏の人工知能への思い入れが伝わる。

 「人工知能」や「AI」と聞くと怪しさを感じるのは、第2次ブームを知っているからだろうか。
当時、通信システムの保守をしていたので、障害探索にAIが使用できないだろうかと考えた。
折しも、パソコンで使えるエキスパートシステム構築ソフト販売されていた。

 ものの本を読むと、満足に動くようになるには、ルールが200必要と書いてある。
ルールを書き出してみたが、自分の頭からは200もルールは出てこなかった。ルールが無いわけではないのだが、明文化することができないのだ。
周りの人のルールも使おうと考えたが、やはり出てこない。

 このとき、知識、特に常識を頭の外へ出すのは極めて困難だと知った。

 インタビューしながらその人の知識を明文化する人(その本ではナレッジエンジニアと呼んでいた)が重要だと書いてあった。
今考えると、いかにもヒューマンコミュニケーションスキルが重要だ。 当時はKYを自覚していなかったので、その試みは失敗した。

 それ以来、AI=机上の空論、怪しげなものという認識を持つようになった。

 2007年にBonanzaが渡辺竜王と平手で指した時は衝撃だった。そして、今年(2016年)Deep MindのAlphaGoが囲碁のプロ棋士に勝った。
2014年に囲碁ソフトDolbaramが4子で張治勲25世本因坊に勝ったのを見て、囲碁ソフトもかなり強くなったと思ったが、その後1年以内に平手で、プロ棋士に勝つとは思わなかった。しかも、勝った相手は、世界ランキング1位だったこともあるイ・セドル九段だ。

 囲碁界は大きな衝撃だったようだが、人工知能を研究している人達は意外にも冷静だ。
冷静な理由はこの本を読むと分かった。
まだ、人間にとって変わるレベルではない。
特定分野で人間の能力を上回ったに過ぎない。
人工知能の研究者が目指しているのは、汎用人工知能だから、囲碁で人間に勝ったからといって、小躍りして喜ぶほどのことではないらしい。

 囲碁も将棋もソフトは詰将棋や局所的な生死は強いが、大局観が苦手で、序盤、中盤が弱いと言われていた。大局観は詰まるところ形勢判断だから、大局的な形勢判断ができるようになったわけだ。
人間でも難解な大局観という概念の符号化に成功したということだろう。

 形勢判断は評価関数で行うが、評価関数は棋力や棋風だろう。これまで囲碁・将棋ソフトの作者が作っていた、評価関数を機械学習でそのパラメータを決められるようになったわけだから、これから、人間が思いつかなかった戦法が見つかるかもしれない。

 今後、ディープラーニングのコストが下がってきて、常識の符号化ができるようになったら、専門家が素人に専門的な知識を伝えやすくなるだろう。
専門家の説明が分かりにくい原因は、専門家と非専門家の常識が共通していないことだから、共通の常識のレベルまで下げて説明すれば伝わるはずだ。


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