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2016年5月 1日 (日)

ゼロサムer <価値を生み出さない人>

 業務量が多くリソースが足りないときにどうするか?

 周りを見ると、他所からリソースを取ってくるという安易な考え方の人が多い。リソース不足が一時的であれば、他所から借りてくるという発想は間違ではなのだが、根本的な考え方は「他所からリソースを取ってくる」である。

 つまり、仕組みや仕事のやり方(自分)は変えず、リソースの増強で乗り切るという考え方だ。(これをマネジメントという人がいるので始末が悪い)

 他所からリソースを奪おうとすると、どこかで衝突が起こる。リソースを奪われる側は、たとえリソースが余っていたとしても愉快なものではない。 リソースが余っていない場合には「何をか言わんや!!」である。

 彼らの行動は、ゼロサムつまり新しい価値を生み出していない。今ある価値の配分を変更しようとしているだけだ。

 今ある価値の配分を変えると、誰かがリソースを得た分、どこかでリソースが足りなくなる。つまり、不幸になる者が発生する。

 「新しい価値を生み出す人」は、リソースを奪うのではなく、リソースを増したり、業務量を減らすことができるので不幸になる者がいない。

 リソースを奪ってくるのが上手い「ゼロサム野郎」は、誰かが不幸になること知っているので、権威・権限をチラつかせて高圧的なやり方や、組織内政治力を使った狡猾なやり方でリソースを奪おうとする。

 部門最適がはびこっている組織では、他所から利益を奪い、損失を他所に押し付けることが上手い「ゼロサム野郎」が「仕事が出来る奴」と評価されたりする。全体的な価値は増えていないのだが、評価する者も「ゼロサム野郎」だから...

 なぜ、「新しい価値を生み出す人」は少なく「ゼロサム野郎」は多いのか?キーワードは「創造力」ではないだろうか。

 「新しい価値を生み出す人」には、常識にとらわれず、新しいことを思いつき、挑戦する「創造力が不可欠だ。 ところが、学校教育でも、採用試験、登用試験でも「創造力」という観点で選抜されることは無い。 つまり、組織的に「新しい価値を生み出す人」を振るい落とす仕組みになっている。

 周りの「ゼロサム野郎」を見ていて気が付いた。
「ゼロサム野郎」の中には意外にも「人望」がある者がいるのだ。しかし、多くの人に評判を聞くと評価(好き嫌い)がはっきり分かれる。

 「ゼロサム野郎」と利害が一致する者(多くの場合、同じ部署、同じチーム)にとっては、「ゼロサム野郎」は利益をもたらす存在だから「人望」があるのだろう。反対に利害が一致しない者(リソースを奪われる部署・チーム)には忌み嫌われる。

 「僕に任せときなよ」と言う親切な「ゼロサム野郎」をうっかり頼りにすると、自分のせいで誰かが迷惑を被ることになる。それは正直ツライものだ。

 自分のためにしか行動しない「究極のゼロサム野郎」は、誰彼なしに利益を奪う。その結果、皆に嫌われるので「人望」のかけらもない。

 一方で、「新しい価値を創造する人」は、他所の部署・チームにも利益を与える。少なくとも他所には損害を与えないのでWin-Winの関係になる。

 「新しい価値を創造する人」が、「ゼロサム野郎」と大きく異なるのは「人徳」を感じる人が多いことだ。「ゼロサム野郎」で「人徳」がある者を見たことがない。

 人は何も考えないで行動するとゼロサム的になるのではないだろうか。そして、自部署・自チームが利益を得たことで成果があがったと勘違いする。

 ゼロサム的行動を見付ける簡単な方法は、視点を上の階層に移して全体的な価値が増えているかを考えればよい。 全体的な価値が増えていないなければ「ゼロサム野郎」だ。 「一つ上の役職になったつもりで判断する。」は理にかなっている。

 「ゼロサム野郎」がはびこっている組織はギスギスしていやだなあ。

「ゼロサム野郎」にならないように、「新しい価値を創造できる人」なろうと思う。 


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