批評家の言うことを聞いてはいけないのか
シベリウス『批評家の言うことを決して聞いてはいけない。これまでに批評家の銅像が立てられたためしはない。』 Inquiry
キャッチーなタイトルだ。 この記事は、偉人の発言(格言)を引用して著者の主張を刷り込んでいるが、詰まるところ、趣旨は、
「後知恵で批評する疑似批評家の批評は気にする必要はない」
だろう。
批評家が忌み嫌われるのは、批評家が当事者目線ではなく、神目線で語るからだろう。 批評が正しいとしても、凡人はつい、「じゃお前やってみろ」とか「お前に言われたくはない」と言いたくなる。
でも、疑似批評家の後知恵批評であっても聞いてみるメリットはあると思う。 自分の行動を自分自身で客観的に判断するのはとても困難だ。どうしても第三者の客観的な批評が必要になる。
世の中には、正しい批評ができる(正当な)批評家人ばかりとは限らず、疑似批評家もいる。正当な批評家も門外の分野では、疑似批評家になったりするので、正当な批評家だけの批評を聞くことはできない。批評を聴こうとすると、正当な批評家、疑似批評家両方の批評を聞かざるをえない。
ならば、必要なことは、その批評を、自分の次の行動に参考にすべきか、無視すべきかを判断すること。 つまり、峻別すべきは批評家(人)ではなく、批評そのものの妥当性ではないだろうか。
問題は、どうやって自分に対する批評を冷静に聴くかである。
批評されている自分も神目線になると良いと思う。 一人の自分を神目線にして批評家側に立って、もう一人の自分を批評を聴く。そのとき、意識を神目線側の自分に集中して、批評される自分の意識をOFFしておくと、結構冷静に批評を聴くことができる。 (あんまり、酷い批評が続くと、ふと批評される自分に意識が戻って、「オメ~に言わたかネーよ!」になったりするのだが...修行が足りない)
この技ができるようになったからといって、安易に他人を批評してはいけない。
人は、他人からの批評を素直に聴けないのが、普通だ。
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