「報・連・相」は必要悪なのか
必要性を考えない「とりあえず報連相」は癖になり、油断すると増殖し、組織を蝕む。
何も考ない「とりあえず報連相」は油断するとのコストが増加する。 気が付くと義務のようになり、「とりあえず報連相」に数時間・数日を割くことになってしまう。 暇を持て余しているならまだしも、人が足りず仕事が多いときには、価値を生まないどころかマイナスの行動になる恐れがある。
トフラー先生は、「第三の波」で、第三次産業革命後の情報化社会では大量の情報が流通すると予測された。 はたして予測は的中し、日々大量の情報を処理しなくてはならなくなった。
大量の情報を処理するために最も重要なことは、不要な情報を処理しないことだから、 必要のない情報はノイズといえるだろう。ノイズは不要(なくてもよいもの)ではなく処理の邪魔者である。
つまり、必要のない「報・連・相」は「報・連・相」した相手のリソースを奪う行為、平たく言うと、相手の仕事の邪魔をしているのである。
「報・連・相」は、これを考案した山崎富治氏の意図から逸脱した誤用が氾濫しているので、「自分が処理できない情報を集めたがる」デキナイ上司対策という、ある種必要悪という考え方もあることはたしかだ。
しかし、 「とりえず報連相」が必要悪だったとしても、悪であることに違い無い。 価値を生まない行動であることを認識しなくてはならないと思う。
また、人が足りず仕事が多いときには、「やらないこと」「止めること」の意思決定が必要なので、価値を生まない行動は、真っ先に止めるべきだ行動だろう。
どうしても、「とりあえず報連相」が止められないというなら、少なくとも、リソースを浪費しないようにする必要があるだろう。
山崎富治氏の考えた「ほうれんそう」は 「報・連・相」することが目的ではなく、風通しを良くすることが目的だから、「ほうれんそう」するならば目的を考えることがとても重要だ。
「報・連・相」される側になったオヤジは、必要悪とわかっていても、鬱陶しがられても、「『とりあえず報連相』は不要ではないのか?」と問い続けなくてはならないのだろうと思う。
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