100点満点を超える <越えるではなく超える>
教育・訓練を主催するにしても受講するにしても到達レベルの設定は必要だ。
主催する側としては
教えた・訓練した内容を100点満点として、 到達レベルを95点とするか、60点とするかは、教育・訓練対象者による。 いずれにしても、100点満点が存在する。
教育と訓練とでは、到達レベルの意味合いが異なる。
訓練では
正解が用意されているから、100点満点は理想であり、95点の受講生は「優秀」、60点の受講生は「及第」だろう。主催者は、ひたすら100点に近づくように努力すればよい。
現場のマネジャにとっては、100点満点で95点の「優秀」レベルの部下は頼りになる、最低でも60点の「普通」レベルはクリアしてほしいと思う。
受講生も、100点を意識しているから、100点を越えることはできない。
教育では
100点満点は所詮用意された正解だ。誰かが持っている既存の知識・技能や枠組みだから、100点満点は一時的な目標値に過ぎない。
マネジャとしては
欲しいのは、
- 予め用意された答えがない問題が解決する能力を持っている人
- 既存の知識を以外の知識・技能を持っている人
- これらの能力を獲得できる人、獲得する方法を知っている人
いうならば、100点満点で120点取れる、既存の枠を「超越」した人材だ。
だから教育では、60/100点をクリアしたら次に目指すのは、95/100点ではなく、120/100点ではないだろうか。
教えられていない答えを、発見できる人、導き出すことができる人。つまり、教える側を超える人が育つかどうか。
人材育成に携わる者にとって重要な視点だと思う。
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