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2016年8月24日 (水)

「雨降らし男」の物語(2)

 理由ははっきりしないのだが「なんとなく、おかしい」と感じる。

 体の調子が悪いわけでもなく、とりたてて普段の行いが悪いというわけでもなと思うのだが、それでも、何かと良くないことが続いて起こったりする。

 河合隼雄氏の「心理療法序説」(岩波書店)に紹介されている、

 これはユングが中国研究者のリヒャルト・ヴィルヘルムより聞いた話として伝えているものである。

ヴィルヘルムが中国のある地方にいたとき旱魃が起こった。
数カ月雨が降らず、祈りなどいろいろしたが無駄だった。
最後に「雨降らし男」が呼ばれた。

彼はそこいらに小屋を作ってくれと言い、そこに籠った。
四日目に 雪の嵐が生じた。村中大喜びだったが、ヴィルヘルムはその男に会って、どうしてこうなったのかを訊いた。

彼は「自分の責任ではない」と言った。
しかし、三 日間の間何をしていたのかと問うと、「ここでは、天から与えられた秩序によって人々が生きていない。

従って、すべての国が「道(タオ)」の状態にはない。
自分はここにやってきたので、自分も自然の秩序に反する状態になった。
そこで三日間籠って、自分が「道」の状態になるのを待った。
すると自然に雨が降って きた」というのが彼の説明であった。

 「なんとなく、おかしい」と感じるのは「雨降らし男」の言う天の秩序が崩れた状態なのではないだろうか。

 ひょっとして、「雨降らし男」のように、徳を持った人がいなくなったのが原因かもしれない。 しかし、残念ながら自分の心を整えることで、天の秩序を整えるような徳は持ち合わせていない。

 徳を持った人に頼るだけでなく、まず自分の心を整えよう。


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