なぜ官僚は無能に見えるのか
なぜ官僚は無能に見えるのか ゆるふわ刑法ブログ 2016/3/16
著者のはるの氏は、
ここで重要なことは、官僚に対して「無能だ」「現場を知れ」「当事者の主張に耳を傾けろ」などと言って批判をしても、たとえそれが適切な批判であっても、ほとんど意味をなさないということです。多数人を前にした相対的な情報の不足は、どうやっても解決しようがないからです。この問題を解決する方法があるとすれば、ただひとつ、官僚に期待することをやめ、正確な情報を持つ自らが責任をもって当の問題を解決する行動をとることです。
という。福沢諭吉の「国を支えて国を頼らず」の考え方に似ている。
また、1%未満の優秀なエリート官僚が持つ情報の総和よりその他の日本の成人全員が持つ情報の総和のほうが「質」が高いという。確かにそうだろう。
でも、質が高い「その他の日本の成人全員が持つ情報の総和」は使えるのだろうか?「使うことができない情報の総和」を比較することに意味があるのだろうか?
また、優秀な官僚が持っている情報とその他の成人1人が持っている情報の「質」はどちらが高いのだろうか?
もし、個人が「その他の日本の成人全員が持つ情報の総和」を使えるなら、官僚にもその情報を与えれば良いのではないだろうか?
もし、個人が「その他の日本の成人全員が持つ情報の総和」を使うことができないなら、官僚以外の個人1人持っている情報の質よりも官僚が持っている情報の質の方が高くなることはないのだろうか?
とはいえ、官僚に期待せず、自ら主体的に動くしかないという主張には諸手を挙げて賛成だ。
体制不備を自ら動けない言い訳にしてはならないと思う。
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