「うちではできないのか?」 <部下ではなく自分に問いかけること>
よそが目立つことをして評価されたとき、「うちでもできないのか?」とか「よそより先にやって然るべきだろう」などというエライ人がよくいる。(一般論ですよ)
自分たちにできる能力が有るのに、なぜできないのか?
それは、新しいことにチャレンジしない風土になっているからだ。そして、その風土を作っているのは、たいてい「うちでもできないのか?」と言っているエライ人だ。
考えなければならないことは、現場に能力があるのに、なぜチャレンジしようとしないのかということだ。
問題は経営層のマネジメントの不全だ。
でもできないのか?」を現場ではなく自分に問いかけなければならない。そうしなければ、よそが目立つたびに「うちでもできないのか?」と不毛な問いかけをすることになる。
よそがやった後なら、「うちでもできないのか?」は誰でも言える。
よそより先にやろうとするなら、現場が新しいことにチャレンジできるようにしなければならない。
経営層のマネジャは、現場が日常業務以外の
- 新しいネタにチャレンジできる環境を作る
- 新しいネタにチャレンジしたことを評価する
- 新しいネタにチャレンジした成果を認める
ことが必要だ。
部下に顔を潰されたくなかったら、部下が顔を潰したくないと思う上司にならなくてはならない。
よそが目立つことをして評価されたとき、「うちでもできるよ」とか「うちでも思いついていた」という現場はよくある。(一般論ですよ)
できる能力があるのに、なぜできないのか?
それは、新しいことにチャレンジしない風土になっているからだ。そして、その風土を変えようとしないのは、たいてい現場だ。
エライ人に「うちでもできないのか?」と聞かれれば、現場は「当然できますが、問題があります。」と、問題点をいくつも挙げる。チャレンジしていない、失敗していないのに、問題点を先に思いつく。ハッキリ言って言い訳だ。
考えなければならないことは、自分たちに能力があるのに、なぜチャレンジできなかったかということだ。
問題は現場のマネジメントの不全だ。
現場のマネジャは「なぜチャレンジしなかったか?」を自分たちに問いかけなければならない。そうしなければ、自分たちが新しいことにチャレンジすることはない。
よそがやった後なら、「うちでも思いついていた」は誰でも言える。
よそより先にやろうとするなら、自分たちが新しいことにチャレンジできるようにしなければならない。
現場のマネジャは、自分たちの日常業務以外の
- 新しいネタにチャレンジできる環境を作る
- 新しいネタにチャレンジしたことを評価する
- 新しいネタにチャレンジした成果を経営層に認めさせる
ことが必要だ。
自分の顔を潰されたくなかったら、上司の顔を潰さないこと、部下の成果が評価されるようにすることが必要だ。
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