情報共有
情報共有
0. はじめに
情報共有は古くて新しい問題だ。情報が共有されない理由はググればいくらでも見つけられる。例えば、サーバー屋さんは物が売れないとおまんま食い上げだから情報共有インフラが重要で、ファイル共有システムと全文検索が必要という。「情報共有の活性化を阻む8つの落とし穴」残念ながら、掲示板やDBを立てると情報が共有できると思っている楽観的な人は多い。
情報共有に使用できるハードウェアやアプリケーションはここ20年で飛躍的に便利になった。しかし、情報が共有されているようになったとは感じない。 情報共有の主役である人・組織の考え方は昔と変わっていないので、いつまでたっても、情報共有は大きな課題のままだ 。
組織的に情報共有ができない理由を考えると、情報共有に必要なコスト(物理的、心理的)より情報共有によるメリット(物理的、心理的)が小さいということに尽きる。ともすれば情報共有によるリスクの方が大きい。
簡単に言うと、情報共有のために情報を公開しても叱られることはあるけれど褒められることはない。ということだ。
自所属で得た情報が他所属でも有用であろうことは分かる。 情報を共有すると更なる成果が期待できるであろうことも分かる。
ところが、どこにもいるは他人が公開した情報の不備を指摘する。指摘されることが評価が下がることと思う人(ビビリ)は、不確かな成果よりも、情報を後悔しないことを選ぶようになる。
この問題は、人の性格に依るものではなく、組織の風土・組織の文化に依るもとらえるべきであろう。情報共有ができない原因のほとんどは組織の風土に密接に関係がある。 組織の風土を変えることができるなら、自ずから情報は共有されるだろう。
情報共有にまじめに取り組もうとするなら、同時に組織の風土を変えることにと真面目に取り組む覚悟が必要である。
では、組織の風土改革も含めて情報共有にまじめに取り組むならば、具体的に何をすべきか考える
1. 何を共有するのか?なぜ共有するのか?
情報を共有するためには具体的に何をすべきかを考える前に、何を共有するのか?なぜ共有するのか?について考える。
「情報共有」を語る人は、「何を共有するのか」「なぜ共有するのか」を語らないことが多い。「何を共有するのか」「なぜ共有するのか」はけっして自明ではない。現に「情報共有」といいながら共有ようとするのは「何も加工しない生データ」だったり、「ノイズだらけの情報」だったりする。また、トップがご熱心だからという理由で、「誰も必要としない情報」を共有しようとすることもある。
まず考えなければならないことは、「データ」「情報」「知識」「知恵」のどのレベルを共有すべきか考えることが必要である。
富士通のサイトにある「本質博士の仕事塾 第4回:データ・情報・知識・知恵」の資料(pdf)が参考になる。
「知識創造企業 野中郁次郎 東洋経済新聞社」にセブンイレブンの例がある。セブンイレブンは早くからPOSを導入している。
- 店舗ではPOSデータを見なが発注ができる
- 各店舗は発注する商品について、本部の巡回指導員のアドバイス、天気予報、地域の行事などの情報を基に、仮説を作る
- 仮説は実際のオーダで確認される
- 巡回指導員は成功した仮設を集め仮説を1つ選ぶ
- 選ばれた仮説は全国から集まった巡回指導員、本部のトップ、スタッフが集まった毎週開かれる会議で報告される
- 報告された仮説は次週全店で試される
- 「データ」は、POSデータ
- 「情報」は、天気予報、地域の行事、売り上げ
- 「知識」は、成功した仮説
- 「知恵」は、全国で成功した仮説
我々が共有すべきは本当に「情報」なのか?
どのレベルを共有するかを考えると必然的に「なぜ共有するか」という問題に突き当たる。しかし、この問いは大きな問題ではない。答えは簡単である。新しい価値を創造するためだ。
大きな問題は、
組織として新しい価値を創造しようとしているのか?
ということである。
新しい価値を創造しようとしていないなら、そもそも共有する必要はない。
掲示板やDBなどのシステム(箱物)を整備する前に議論する必要がある。セブンイレブンの例では(2)~(6)を実行するからPOS(箱物)が必要になるのである。「知恵」を共有するためにPOSが必要なのだ。POSを導入したから「知恵」が共有されるわけではない。
トップだけでなく現場も「新しい価値」を創造しようとしているのか?
組織全体で考えなければならない。
2. どうやって共有するのか?
ある会社の「情報共有」の方法が、よく考えられていて素晴らしかった。 知と知を繋ぐ Book & Apps
このエントリによると、成功のポイントは
- 最初にある程度の情報量を入れてしまう
- すぐに役立ちそうな情報をランキングなどでわかり易く提示する
- 信頼できる人から利用を勧められる
- 自分も発信できる
というもの。このポイントは一見そんなに難しいことではないように思える。
何度も「情報共有」に挑戦して分かった問題は、なぜ、「情報共有」の仕組みにこのポイントが実現できないかである。
情報共有できない原因は、その組織において「情報共有」が必須だと思われていないからではないだろうか。 経営層に近い人達だけでなく、その組織内の多くの人たちが「情報共有が有効」だとは思っているが、「情報共有が必須」だとは思っていないからだ。
組織内の情報システム、通信システム、の設計、整備、運用、保守を行なっている部署を例に考える。
最近のICT業界は扱う範囲が広くなって、必要とする情報の範囲も広くなっている。20年くらい前「ICT」が「IT」と「CT」に分かれていた頃は、特定の範囲だけをカバーすればよかった。
例えば、「CT」で扱っていた「移動無線伝送路の保守に関する情報」は狭いが、「ICT」で扱う「スマホからの個人情報流出に関する情報」は極めて広く複数の分野を網羅しなければならない。
意思決定すべき幹部は「IT」と「CT」に分かれていたころ現場にいた人達だ。彼らは自分の専門以外の分野をどうやって網羅するかを考えない。昔は個々が頑張ることで全体が網羅できていたから、「情報共有は有効」という認識しかない。
今や、個々が頑張っただけでは、とうてい全ての分野を網羅することはできない。組織的な対応が必要だから「情報共有が必須」なのだが、彼らは認識を変えられないではないだろうか。
つまり、具体的な方法論の前に、彼らの意識改革や組織の風土改革で引っ掛かっているのではないだろうか。
3. 情報共有のありがちなモデル
階層的な組織の情報共有について考える。
ありがちな2つのモデルと理想のモデルを考えてみる。
(左:ありがちなモデル1 中:ありがちなモデル2 右:理想のモデル)
前提
- 情報とは
「判断を下したり行動を起こしたりするために必要な、種々の媒体を介しての知識」(広辞苑に倣う) - なぜ「情報共有」が必要か?
組織内の「情報」を有効利用して、より多くの成果をあげるため。
簡単に言えば、「成果を上げるために、組織内の知識再利用すること」である。
3.1 ありがちなモデル1
このモデルは、「情報共有」について深く考えていない階層型の組織に良くある情報の流れである。このモデルにおいて上位階層、下位階層の立場から考える。
上位階層の立場では
上位階層は下位階層に対して「指示・通達」し、下位階層から上位階層に「報告」する。このとき、下位階層1から上位階層に対する「報告」は上位階層にとっては「情報」だが、同列の下位階層2、下位階層3にとっては「情報」ではないことが多い。
「報告」は上位階層が下位階層を管理するためにを利用するための重要な「情報」である。 「報告」の主目的は組織管理だから、下位階層が共通して利用できる情報の「報告」を求めていないことが多く、集めた情報を集積・分別して、下位階層で利用しようというモチベーションは低い。
下位階層1は他の下位階層2や下位階層3が利用できるであろう「情報」を上位階層に「報告」することもできる。
しかし、「指示・通達」&「報告」は階層組織の管理のために使用しているシステムであるから、「報告」は自組織の評価が上がるように「選択した情報」になる。少なくとも自組織の評価があがる方向にバイアスがかかっているのが普通である。 端的に言えば、良くないことは割り引いてあるし、良いことは盛ってある。
つまり、下位階層からの「報告」は、他の下位階層の活動には利用できないことが多い。
下位階層の立場では
このモデルでは、下位階層には上位階層からの「指示・通達」しか来ないので、下位階層が欲しい情報は、自ら探さなくてはならない。 問題は「情報」が集約されていないことである。
上位階層への問い合わせは、正規のチャネルでは困難なことが多い。(主に心理的障壁) 下位階層は上位階層に集約した再利用可能な「情報」があると期待しているが、このモデルで上位階層が集めている「情報」は上位階層が利用するための情報であるから、下位階層が再利用できる「情報」は少ない。
同じ階層への問い合わせも、正規のチャネルでは困難なことが多い(縦割りの障壁)ことから、個人的なチャネルを利用した「情報」の収集となることが多く、属人的になりやすい。
定常業務が大半を占める(10年前も20年前も同じ仕事をしてるような)部門の情報共有は、生き字引的な特定の個人を通じて細々と実行されていることが多い。
下位階層にとっては「情報」収集のコストが高いので、組織的な「情報共有」の要望は多い。 しかし、「情報」は文書化されていないことも多く、「情報」は人の記憶であったり、暗黙知であることも多く、システム化が困難である。
見落としがちなことは、「情報共有」を言う人の真意が「オレは情報出さないけど、オレに情報をよこせ」ということが多いことである。
図のモデルの問題点は
- 組織に「情報共有」の意識が無い。
- 「情報」が流通し難い形態である。
- 「情報」が分散している。
であり、誰かが「情報共有が必要」と騒いでいる段階だ。
問題点の2と3、「情報の集約と流通」はITを利用すると低コストで解決できそうである。ただし、情シス部門が障壁にならなければという条件がある。
厄介な問題は、問題点1「情報共有の意識」だ。経験則では、せっかく「情報共有」が必要だと気がついた人も「情報共有の意識」を考えないで失敗することが多い。
ナレッジ・マネジメントと大上段に構える必要はない。。 なぜ「情報共有」が必要か考えればよいのである。
結論
組織管理のための仕組みを使用しての「情報共有」は極めて困難である。
3.2 ありがちなモデル2
このモデルは、「情報共有」と「情報公開」・「情報提供」の区別ができていない人が思い描く情報の流れである。
モデル1で「情報共有が必要」だと気が付いた上位階層の人が、情報を集約することを始めてお手軽にやってしまうとこのモデルになる 。
「共有」って何?
「共有」とは広辞苑によると「二人以上が一つの物を共同して所有すること」である。つまり、「情報共有」では同じ情報を上位階層と下位階層がどちらも所有していることが重要である。「共有情報」の管理・運営については上位も下位もない。「情報共有」のコストが低くなるようにすべきである。
ところが、上位階層の人達も下位階層の人達も、階層型組織という前提から逃れられないため、情報は上位階層に集め、上位階層が管理しなければなければならないと思い込んでいる。
その結果、上位階層が管理することのコストについて検討していないことが多い。組織上、上位階層でなければ会計作業ができないという制約があることと、「情報共有」における、上位・下位を混同してはならない。
このモデルにおいて、
- 上位階層に集約された情報を下位階層が使用するのは、上位階層による下位階層への「情報公開」である。
- 特定の下位階層に対する「情報公開」は、上位階層から下位階層への「情報提供」ともいう。
いずれも「情報共有」ではない。
言葉遊びではなく、共有している情報は誰かから貰うものではなく、誰かに与えるものでもない。共有している人達全てのものだから、誰に断ることもなく、好きな時に使ってよいものである。
このモデルを「情報共有」と称する人達は多い。議論がすれ違うことが多い原因は「共有」の認識が違うことによる。
「情報公開」ではダメなのか?
「情報公開」の方法はITを使用すると低コストで実現できる。(情シス部門の障壁が無ければ!)ITC業界にいるので、小規模なシステムなら自前でサーバを構築することも容易だ。(情シス部門の障壁が無ければ!)
このモデルの問題は、金物・箱物ではなく、「情報を提供する側」と「情報を提供される側」に分かれることである。
「情報を提供される側」にいる人達は、「情報を提供する側」に「情報共有せよ」と言いながら「情報公開」を迫る。ところが、公開すべき情報がないことは多い。
多くの人が、自分は情報を提供していないが、自分以外が提供した情報が集約してあると思っている。しかし、思うほど情報は集約されていないのである。(人の褌で相撲をとるのは人の常)
モデル1の「報告」を集約すべしという意見もあるが、先に述べたように、下位階層で利用できる「情報」でなければ公開する意味がない。
「情報」を組織の外から調達してくる方法もあるが、外部から調達した「情報」は費用対効果が問われるので、効果の測定が困難な「情報共有」の枠組みには乗せず、効果の測定が容易なモデル1の「指示・通達&報告」システムに乗せることが多い。
つまり、「情報公開」がダメなのではなく、このモデルでは流付させるべき「情報」が集約されないのである。
図のモデルの問題点は
- 下位階層は情報が提供されると思っている
- 上位階層は箱物を作れば良いと思っている
- 誰も「情報の集約」を考えない
である。
このモデルの問題点は先に述べたように、「情報を提供する側」と「情報を提供される側に分かれることだ。 「情報共有」においては、全員が「情報を提供する側」であり「情報を提供される側」である。つまり、「情報を提供されるだけ」「情報を提供するだけ」という存在はあり得ないのである。
「共有すべき情報」の多くは、成功事例、失敗事例、ノウハウなど、組織内にあることが多く、「情報の集約」ができないこのモデルでは「情報共有は」困難である。
結論
全員が「情報を提供する側」だと認識しなければ「情報共有」できない。
3.3 理想的なモデル
ありがちなモデル1、ありがちなモデル2では「情報共有」は困難である。そして、最後にこのモデルに行き着く。
シンプルに「情報」を持っている者が「情報」を提供し、必要な組織がその「情報」を利用する。このモデルでは、上位階層、下位階層の区分は組織管理のため存在するが、「情報共有」に上位、下位の区別は無い。つまり、全ての組織が情報を利用する権利を有し、情報提供の義務を負う。実にシンプル。
実際は
残念なことに、このモデルは階層的な組織とはマッチしないため、マネジャや管理者はこのモデルを構築できない。
マネジャや管理者の存在は組織構造が前提であるから、彼らが階層構造に依らない情報共有構造を積極的に構築するのは階層的な組織の否定に繋がる。そして、階層的な組織構造を否定するのは、自分のポジションを否定することに繋がる。
一方、現場レベルで「情報共有」の意識がある者の間ではこのモデルでの運用が可能だが、非公式感(アングラ感)が拭えない。現場レベルでも階層型の組織を意識していて、情報は、ありがちなモデル1のルートでなければ流通できないと思っているからだ。
また、「人の褌で相撲を取る」輩がいるので、このモデルが成立するか否かは、その組織のモラルにかかっている。人の褌で人を出し抜こうとする風土、その風潮を良しとする風土がある組織ではこのモデルの情報共有は無理である。つまり、目先の報酬にとらわれる組織では無理である。
その他にも問題を挙げればきりがない...
このモデルの問題は
- 階層的な組織の管理者はフラットな構造を作ることに心理的障壁があること
- 現場レベルで実現すると非公式感があるから情報の提供に心理的障壁があること
- 情報を提供した者にメリットがないこと
である。
具体的な行動を起こさなければ問題は解決しないのだが、簡単に解決できそうにない問題にたどり着いてしまった。
しかし、諦めているわけではない。 (2015/08/04)
この記事は、ブログに掲載した以下のエントリを集約、加筆、修正したものです。
- なぜ日本企業では情報共有が進まないのか(2014/05/01)
- 情報共有 (2014/05/05)
- 情報共有(2) 何を共有するのか?なぜ共有するのか? (2014/05/11)
- 情報共有(3) <どうやって共有するのか> (2015/07/31)
- 情報共有(4) <ありがちなケース1> (2015/08/02)
- 情報共有(5) <ありがちなケース2> (2015/08/04)
- 情報共有(6) <理想的なケース> (2015/08/04)
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