変わろう <そんなに苦痛ではない>
最近方々で「変わろう」とか「変えよう」とか言っているような気がする。
変わるのはこれまで慣れ親しんだ考え方だったり、変えるのは仕事のやり方だったり。
人はそんなに簡単に変わらないし、他人は変えられないのは分かっている。かつて自分もそうだったし、今でも変わることに躊躇することはたくさんある。それでも変わらなければならないと思うのは、自分や今の職場が提供している価値が低下しているのではないかと思うからだ。
時代の流れや上の気まぐれで変わらざるをえないことの方が多い。
宮仕えが長くなると、変化に抵抗しながら抵抗しきれない変化を受け入れる術を身につけているような気がする。それが、一番楽なのだ。
ツブシが効く人は、流されてていても能力を発揮できるから仕事ができる。だから、流されなければやってられない職場はゼネラリスト志向になるのだろう。ゼネラリストを目指すことは悪くはない。でも、変わらないために、その能力を上司などの無理難題の対応に費やすのは勿体無いと思う。
スペシャリストはツブシが効かないと言われる。
自分のことを考えてみると、ツブシの効かないヤツだろう。スペシャリストを目指してきたこともあるが、それ以上に潰されたくないと思っている。流されて潰されるのは苦痛だから陰に日向に抵抗する。実にネガティブだ。
必要とされる知識や技能は時代と共に変わる。変化の早い業界にいるとスペシャリストであり続けることは簡単ではないから、昔スペシャリストだった人は多い。
習得した知識や技能が必要とされなくなってきたことが分かっても、自分を変えることができないのだろう。
ゼネラリストのようにツブシは効かないのだから、必要とされる能力を習得するか、今持っている能力を必要とされる部署に変わるしかない。ところが、スペシャリストの中には、このことが分かっていながら変われない人がいる。多い。
ところが、誰かに強制されるのではなく、自分の頭で考えて、自ら変わってみると、そんなに大変では無いし、苦痛でもないような気がする。
人は他人から変化を求められるのは苦痛だけど、自ら変わるのは苦痛ではない。
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