ハイコンテキストすぎる
「人の気持ちを考えている、大切にしている」という人がそうでもなかったりするんだなあ 2017-11-28
~柴田朋子 キャリアデザインでHAPPYになろう~
しまった!釣られてしまった。
と思ったらそうではないらしいがブログのネタにしておこう。
FBでの問いかけ
柴田朋子氏がFBで問いかけたのは、『みんなは本当に「人間関係を大切にしている」の?』だけど、FBのコメントの多くは、「人が好きかどうか?」だ。
おそらく、FBにコメントした人には、「人間関係を大切にする」=「人が好き」という前提があるのだろう。一方、柴田朋子氏には、「人間関係を大切にする」=「分かり合う」という前提があるような気がする。
柴田朋子氏とFBにコメントした人は
「人間関係を大切にする」=「分かり合う」⇒共通の認識⇒「人が好き」
という前提を共有しているのだろう。 共通の認識は例えば、柴田朋子氏のセミナーを受講しているとか、誰でも持っている「常識」とか。
なぜ引っかかるかというと、σ^^)が行間や話の裏や空気が読めない人間だから、話が分からないのではないか?と考えたから。
柴田朋子氏のセミナーを受講したことで共通の認識を得たのならば、受講していない者には分からないだろうから、「空気読めない人間」も一安心。
共通の認識が「常識」を基にしたものだったら、「空気読めない人間」にとって「常識」はハードルが高すぎる。
柴田朋子氏の真意
柴田朋子氏のブログは
人の気持ちを考えているかどうか、人を大切にしているかどうか
が
人のことが分かるかどうか、自分のことが分かるかどうか
になってる。
FBのコメントは、このことに触れる人もなく、皆さん、FBの問いかけに答えているようだ。
本質的でない所に引っかかるのが悪い癖だということはわかってはいるのだが...
柴田朋子氏は
キャリア研修で出会うみなさんがよくおっしゃる
「私は人間関係が大事で、周りの人を大切にしたいんです」にしっくりこない。だってそんなこと言ってるそばから、グループの対話に対しての皆さんの関わり方が
「めちゃ表面的」だもん。それでわかるのか?って思ってしまうくらいに(笑)
とおっしゃる。
言葉の裏の真意を理解することが苦手だから、セミナー参加者が言う「私は人間関係が大事で、周りの人を大切にしたいんです」は、言葉どおりに受け取ってしまう。
人間関係は大事だからいきなり相手との間合いを詰めないで流して、いい塩梅の間合いを取れる人は羨ましいと思ってしまう。
ところが、柴田朋子氏は、セミナー参加者が言う「私は人間関係が大事で、周りの人を大切にしたいんです」の真意は「周りの人と分かり合いたい」だから、間合いを詰めないと分かり合えないだろうと考えているのかな。
セミナーを受講すれば、なぜ、「人間関係が大事、周りの人を大切にしたい」が「周りの人と分かり合いたい」になるのか分かるのだろうか。
FBでコメントした人の前提
FBでコメントした人は、 柴田朋子氏のFB]での問いかけ、『みんなは本当に「人間関係を大切にしている」の?』に反応したのだろうか? 「人が好きか自分が好きか」のようなコメントが多い。
自分も好き人も好きと言う人はいないのだろうか? どちらかを好きになったらもう片方は嫌いになるのだろうか?
そもそも、人間関係って、人が好きか自分が好きか、という見方しかないのだろうか?
それって常識ってやつなのだろうか?
柴田朋子氏のブログもFBのコメントもハイコンテキストすぎて難しい。よく分からないなぁ。
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