努力と才能と結果と
努力できない人もいる、結果が出ないこともある……
努力できるのは才能だから「できて当然」はやめてほしい
キャリコネ 2018.1.22
もとは2chのスレらしい。
それに、常に話題になるのは成功者。負け組がどれほどもがいて努力をしていようと、失敗すれば「それはお前の努力が足りない」と切り捨てる人の多いこの社会では、たとえ努力の才能のある人でも、結果次第では努力もしていない連中に貶されるのだ。
恐らく世間には、死に物狂いの努力をしたものの、結果が出ずに埋没していった社会人なんて山ほどいるだろう。「努力をしても結果が出ないことがある」ということを無視して、努力は誰にでもできる、努力さえすれば結果は出るはずというのはどう考えてもおかしい。
について考えてみた。
◯努力は誰にでもできるのか?
広辞苑で「努力」は「目標実現のため、心身をろうしてつとめること。ほねをおること。」とある。
だから、努力する才能というものはなくて、努力は誰でもできる。あるのは、目標を実現するとき効率が良いか悪いかの違いだ。つまり努力は才能ではなく方法論だから誰でもできる。
◯努力さえすれば結果は出るはず?
努力は方法論なので、努力すれば必ず(望む)結果が出るとは限らない。しかし、(望む)結果が出る可能性を上げることはできる。これが「努力」の中で最も重要なところだろう。
行動して結果を評価して行動と結果に因果関係があるか考える。行動を変えながら結果を評価して、効率の良い行動を見つける。これが「努力」の中身だろう。
(望む)結果が出ないのは、行動と結果の因果関係を考えず、効果が無い行動を続けているからだ。
体育会系は今でも多い。昔は練習中に水をを飲んではいけなかった。運動系の部活をやっていた人は経験があるだろう。 (望む)結果を出す人は、辛い|辛そうな練習をしていることが多い。しかし、辛いかどうかは表面的なことで、重要なことは効果があるかどうかだ。 練習中に水を飲まないという行動は辛いだけで効果はない。
◯努力をしても結果が出ないことがある
「努力をしても結果がでないことはある」これは真実だ。
一方で、努力さえすれば結果は問われないという側面もある。つまり、「頑張ったからいいじゃないか」とか「よく頑張ったよね」とか。
アタマがいい奴は最初から結果を求めないで、頑張ったフリや努力したフリをして頑張りや努力を評価してもらおうとする。
「良い評価」を狙うなら、堅実な方法かもしれない。
◯(望む)結果
目標は自分で設定できることもあれば、与えられることもある。
結果を出すために、先天的な才能や、幸運が必要な場合は、努力しても結果は出ないことが多くなる。 しかし、先天的な才能や幸運は自分では制御できない。自分で制御できるのは努力だけだ。
つまり、自律的な活動で(良い)結果を出すためのには努力するしかない。
まとめると
- 努力は才能ではなく方法論
- 良い結果が欲しいなら努力するしかない
- 努力しても良い結果が得られるとはかぎらない
- 努力すれば結果にかかわらず評価されることは多い
戦略を考えると、
- 効率を考えて努力する
- 天性の才能を持っている分野で努力する
「結果ではなく」「努力すること」を求められるのは、たいていブラックだ。 健康被害を防ぐために、
- 努力したフリをする
という戦術はある。
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