「0を1にする人」
なぜ東芝は、利益の9割を稼ぐNANDメモリ開発者を辱めて追放したのか? Business Journal 2017.12.26
筆者は日立でDRAMの研究をされていた湯之上隆氏だ。
湯之上隆氏は、NANDフラッシュメモリは自由な雰囲気の東芝だから事業化できたのではないかという。日立に比べて東芝は"自由な技術文化"があるらしい。
その東芝でさえ功労者の舛岡氏に訴えられてしまう。
湯之上隆氏は、
“舛岡氏”や“中村氏”は、「0を1にする」発明をした。これは、何もないところから価値を創造する“タレント”にしかできない仕事である。一方、多くの会社では、「0を1にする」仕事ではなく、「1を2にする、2を5にする、5を10にする、10を100にする」仕事をした人たちが評価され、昇進し、高額な年俸をもらうようになる。
「10を100にする」仕事ももちろん必要だ。しかし、それは、「0を1にする」発明があって、初めて成立する仕事である。これはまったく質の異なる仕事である。日本では不幸にして「0を1にする」仕事をした技術者が評価されない。これは多くの日本の会社が、可及的速やかに改めなければならない決定的に重要なことである。
それがなされなければ“タレント”は海外にどんどん流出していくだろう。日本のプロ野球選手が次々とメジャーリーグに行ってしまうように。
とおっしゃる。舛岡氏とは東芝でNANDフラッシュメモリの事業化に貢献した方で、中村氏は日亜化学で青色ダイオードを発明した方のこと。
ポストを与えれば良いと考えている会社では、ポストより好きなことややりがいのある仕事をしたいと思っている社員は許されないのだと思う。
昔の価値観では、ポストは会社が社員に与えるもので、社員がポストをえり好みすることは許されないことなのだ。
今でもこの価値観に縛られている組織はある。(身近にある)
昔の価値観に縛られているから、新しいキャリアパスを作ろうとしない。社員の希望を無視して、昔の価値観に縛られたキャリアパスに無理やり社員を当て嵌めようとする。
そして、「0を1にする」能力を持った者に管理職のポストを与える。 良かれと思っているので始末が悪い。
会社は「10を100にする」ことを重要視する。あのSONYでさえそうだ。(経営は「1・10・100」) 欧米の先進国が「0を1にした」結果を見付けてきて、「1を10にして」「10を100」にしてきた。 日本は明治以降に急速に近代化したし、戦後の復興時代には、「0を1にする」ことや「0を1にする」才能を育てる余裕がなかったのだろう。
というのはよくある指摘だ。
AIの分野でもやはり、「0を1」にすることはGoogle、Amazon、IBMの圧倒的な才能と資金力に適わなかった。 AI業界の人は応用「10を100」にすることに日本の活路があるという。
日本の「10を100」にする能力は前世紀のものだけれど、大丈夫なのだろうか?
- 経営は「1・10・100」 (2011/12/22)
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