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2018年4月14日 (土)

学校とは同じ人間を作る工場?


学校とは同じ人間を作る工場、でも社会に出ると…プレゼン資料が話題
 with news  (2018/03/14)

 元はベニガシラ氏のtwitterへの投稿 「就活用のプレゼン資料作ったのに「毒がありすぎる」とボツになりました」

 ↓この意見に賛成。

 このプレゼンは、学校で評価されないが能力や才能がある人に対するエールだろう。

 重要なことは社会で要求される(需要がある)能力があるかどうかだ。

 学校で教えてくれることは社会で生きてく上で必要なことが多く、学校で評価されることは社会でも評価されることが多い。 でも、社会で評価されるのは学校で教えてくれることだけではないし、学校で評価されなかったことかもしれない。

 ネット民は二元論になる傾向があるけれど、学校で教えてくれることや学校での評価は全て無駄というわけではない。

 誰かがコメントしているように、学校の評価基準は社会の要求によるものだろう。

 今の学校の評価基準は明治以降の社会の要求によるものだろう。 当時は戦争をするにも、工業化して工場で多量生産するにも、命令されたことを正確に理解して忠実に実行する人を増やすことが重要だった。 そして、戦後の高度成長期にもそれは重要だった。

 だから「テストに出るから覚えておけ」を忠実に実行する生徒は評価されやすい仕組みになっている。

 今でも、大企業や官庁が求める人物は、論理的な理解力と記憶力、命令を忠実に遂行する能力だ。 そして、これらの能力は偏差値と相関があるから、大企業が学歴で判断するのは合理的だ。

 組織的に結果が出せるような命令ができる管理者は貴重だ。そして、勘と経験か論理的かよりも、自分の頭で考えて命令しなければならないから、だれでも優秀な管理者になれるとは限らない。 であれば、数少ない優秀な管理者が多くの忠実な部下を管理する仕組みの方が合理的だ。

 管理者の命令を忠実に実行にする人は管理者が設定した課題を疑わないから扱い易い。 「そもそも課題設定が間違ってる」と言いだす人は扱い難いから高評価の集団には入れないようになっている。いわゆる集団になじめない人達だ。

 これがバブルまで社会が命令される側の者に要求してきたことだ。

 ところが、現場のマネジメントをやった経験では、社会の要求は変わっていると思う。

 論理的な理解力は今でも重要だ。 記憶力は重要でなくなっているが、何でもぐーぐる先生に聞けば良いわけではない。

 決定的に変わったのは、命令されたことを忠実に実行する人より自分で考えて行動できる人の方が貴重になってきたということだろう。

 特にミドル・マネジメント層は学歴とか偏差値とかは関係なく、誰かが設定した課題を疑わない(ようにしている)人より、自分で課題を見つけられる人が必要だと思う。 

 「そんなの当然だ!」と思うかもしれないが、誰かが課題を設定してくれるのを待っている人は多いと思う。

  「それはお前の管理者としての能力が足りない!」と言われれば、「そのとおりです」と答えざるをえないのだが...


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