不死身の特攻兵 軍神はなぜ上官に反抗したか
死身の特攻兵 軍神はなぜ上官に反抗したか 鴻上尚史
鴻上尚史氏は、特攻の記録の多くは「命じた側」によって書かれているという。
命令する側の者は自らが下した命令が間違っていた場合に、自己批判する者はおらず、自己弁護する。 だから、特攻は命令や断れない状況下での形式ばかりの志願であっても、志願であったことにする。 そして、命令した者は生きて、命令された者は死ぬので特攻は志願であったことになる。
この不条理は、現代社会でも其処此処に見れれる。
そして、
一般論を語れば、どんな社会的な運動も「当事者」より「傍観者」の方が饒舌になります。思い入れを熱く語るのは、当事者になれなかった傍観者、または当事者になりたかった傍観者です。
特攻が志願であったことは、命令した者でも、命令された者でもなく、近くにいた傍観者によって語り継がれているという。
特攻を命じた側と命じられた側だけでなく、そばで見ていた傍観者という観点が新鮮だ。
鴻上尚史氏は、命令する側の資質について、
職場の上司も、学校の先生も、スポーツのコーチも、演劇の演出家も、ダメな人ほど、「心構え」しか語りません。心構え、気迫、やる気は、もちろん大切ですが、それしか語れないということは、リーダーとして中身がないのです。
とおっしゃる。 高校野球を例に挙げて、指導能力の無い者が頼るのは精神論であると。
官僚型の組織においては上司の命令に従わなくてはならない。 命令が適法で実行可能であれば、効果が無いことを理由に命令を拒否することはできない。
軍隊等の組織では確実に命令が遂行されなければ戦闘に勝利することはできないから当然といえば当然だ。
その根底には上司は部下より妥当な判断をするという前提がある。 であれば、少なくとも組織は妥当な判断ができる者を選別してその地位に就ける責務がある。
しかし、軍隊のように大量の指揮官が必要な組織では簡単ではない。 この問題が如実に表れたのが先の戦争ということだ。
アメリカ陸軍ではこの問題の対策を行っているようだ。
指示しないマネジメント (2018/04/28 ) 今でも戦争している国は違う。
一方、我が国はどうか? 終戦と同時にこの問題を忘れてしまったようだ。
そして、今でもこの問題は続いている。
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