奇跡のレッスン <日本の教育への強烈な批判かも>
NHK Eテレの「奇跡のレッスン」は色々な分野の超有名コーチが中学生や小学生を1週間指導するという番組。 招かれるコーチは外国人が多くコーチとして実績の残している人だ。
この番組に登場するコーチは、スポーツだけでなく吹奏楽やダンス、アートまで様々だが、コーチが子供たちに共通して教えることがある。
それは、「自分で考えろ」だ。
番組を見る限り、子供たちを普段指導している日本人のコーチは叱咤激励型(軍隊型)が多い。 直接的な指示が多く子供たちが失敗すると叱責する。 「何で失敗したのか、考えてみろ!!」のようなコーチもいる。
子供たちは、叱責されるのは嫌だから、コーチの指示どおりにしようとするのだが、センスがある子や要領がいい子は、指示の理由を考えることもできる。 しかし、要領が悪い子は、指示の理由を考えることができないようだ。
では、デンマークのソーレン・シモンセン氏が中学生にハンドボールを指導するという内容だった。
このコーチは部活だけではなく、数学や理科の授業も見学していた。 そして、数学の先生に、生徒達は授業の意味(内容ではなく)を理解しているのか尋ねていた。 その数学の先生は不意を突かれたようだった。 教育の現場はそういうものかもしれない。
日本の教育には、なぜこの授業が必要かについて教えるという意識が無い。
明治以降の教育は、富国強兵のための教育だ。 上司・上官の命令を正しく理解し、正確に実行する人を育てることが重要だったから、画一的、強制的な教育の方が合理的だ。 バブル崩壊まで有効に機能した。 だから、スポーツの指導が軍隊式になるのも当然だろう。 指導者は指揮官だから命令し、プレーヤーは兵隊だから指示を待つ。
多くの国民は、画一的、強制的な教育を受けてきたから、指示を待つようになっている。
大学進学率が低かったころ、大学はエリートの養成機関だった。 国や企業を担う人材、つまり、自ら判断できる人材を育成していたのだろう。 少なくとも、育成すべき人材像は明確だったはずだ。
時は下り大学進学率が上がって、学生のほとんどが指示待ちになったときに、大学は育成すべき人材像を持っていたのだろうか。そして今それを持っているのだろうか。
大学はもはやエリート養成機関ではないから、指示待ち人材の供給機関だと開き直るのだろうか。
奇跡のレッスンは一見スポーツ指導のように見えるが、実は日本の教育への強烈な批判なのかもしれない。
だとるすと、やるな!Eテレ。
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