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2019年1月26日 (土)

人が人を評価することの難しさ

人が人を評価するのは難しい。人を評価することの難しさについて考えてみた。結論は

  • 評価の目的や評価の意味が重要

客観的評価

 数値で評価すると客観的に評価できる。逆に言うと数値にならないものは客観的に評価できないのだと思う。 だから、「仕事ができる」を客観的に評価するのはかなり難しい。

 多くの人が主観で評価すると個人の主観が相殺されるけど完全に客観にはならなくて、評価した人が共通して持っている暗黙の了解とか道徳観とかは排除できない。
例えば、「上司の言うことは全て正しい」という組織風土の中で評価すると、「上司も間違ったことを言うことがある」と考えている人の評価は、いくら多くの人で評価しても高くならない。

主観的評価

 数値で評価すると客観的でフェアだけど、対象者の潜在能力まで評価しているわけではない。 潜在能力はおそらく主観で評価するしかないと思う。

 米国のオリンピック予選のように1つの大会で一発勝負にすると、客観的でフェアだけど、オリンピックで勝てるかどうかは別問題だからなあ。

 知り合いに「人を見る目」を持った人がいて、この人が推す若い人はたいてい伸びる。何かの数値で評価しているわけではないだろうから主観的評価は全て間違っているわけではないのだろう。

結論

 結局、何のために評価するのか、評価の良し悪しは何を意味するか(評価の目的や評価の意味)が重要なのだと思う。 ボーナス査定のように公平性が重要なら数値で評価したほうが良いし、「若い人の将来性」であれば評価対象を知る数人が主観で評価すれば十分ではないだろうか。

 評価の目的や評価の意味が不明ならどのような評価を行っても無意味だ。 ところが、悲しいかな人は無意味と分かっていても自分の評価を上げようとする...


  • 体裁を修正(2019/12/04)

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