「さすが東大」「あれでも東大」
MBSの「林先生が驚く初耳学」で「高学歴ニートたちに林先生が特別授業!」をやっていた。 (林修が高学歴ニートと激突!君たちはなぜ働かないのか(2019/1/17) )
「さすが東大」、「あれでも東大」
その中で林修先生は、東大卒は「さすが東大」、「あれでも東大」と世間から言われ、中間は無いとおっしゃる。 東大を卒業され、単に成功しただけでなく多くのことを経験されているだけに説得力がある。
などと考えていたら、この言いぐさはどこかで聞いたことがあると思った。
昔、職場で幹部候補試験を実施されていた。
30歳過ぎで幹部候補試験に合格する人が多く40歳過ぎて幹部(中間管理職)に登用されていた。
今は幹部登用試験に変わったので、採用時からの幹部候補を除いて幹部候補はいなくなった。
試験に合格したからと言って幹部に必要な能力を備えているわけではない。
幹部候補試験に合格して幹部になった人と、幹部登用試験に合格して幹部になった人とはどう違うのか?。
幹部候補試験に合格した人は、周りから「幹部候補」と見られて30代を過ごす。
この時期に周囲から「さすが幹部候補」とか「あれでも幹部候補」など評される。 中間は無い。 30代は幹部に必要とされる能力を獲得する期間だ。当人も能力が足りないことは承知している。
そして、30代で能力を獲得した人は「さすが幹部候補」と評され、能力を獲得できなかった人はいつまでたっても「あれでも幹部候補」と評されるのではないだろうか。
見方を変えると「幹部候補」として見られ扱われることで、つまり「幹部候補」というラベルをら貼れたことで、幹部に必要な能力を獲得しようと努力した結果、必要な能力が獲得できるのではないだろうか。
「東大」も「幹部候補」も周りが貼ったラベルと実際の能力に差が無ければ「さすが幹部候補」「さすが東大」と言われ、ラベルに対して実際の能力が足りなければ「あれでも幹部候補」「あれでも東大」と言われるのだろう。 当事者にとっては、勝手にラベルを貼られて勝手に評価されるのは鬱陶しいことだが。
重要なことは、
貼られたラベルに対して要求されている能力は何かを知ることだ。
林修先生は「東大」に要求される能力は創造力と問題解決能力だとおっしゃる。同じように「幹部」に必要な能力も問題解決能力だ。
ところが、「東大」に必要な能力が「偏差値」だと思っている人がいる。 この人は「想像力と問題解決能力」を獲得しないので、いつまでたっても「あれでも東大」と言われるのだろう。
同じように、「幹部」に必要な能力が「管理能力」だと思っている人がいる。この人もまた「問題解決能力」を獲得しないので「あれでも幹部候補」と呼ばれるのだろう。
結論
「あれでも××」と呼ばれるのは悪いことばかりではない。 貼られたラベルに要求される能力を獲得すればよい。
獲得できたかどうかは「さすが××」と言われるようになるのですぐわかる。
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