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2019年2月19日 (火)

なんで社内の人を「さん付け」して呼んじゃダメなの? <相対敬語> 

はてな匿名ダイアリーに,

  なんで社内の人を「さん付け」して呼んじゃダメなの? (2/14追記)

という投稿があって、そこらじゅうでネタにされている。

 結局、コメントした人たちは投稿者を納得させられなかったようだ。  コメントの多くは、以下のとおり。

〇常識だから

 そもそも、投稿者は常識に疑問を持っているので、「常識だから」では納得できないよね。

〇謙譲語だから

 投稿者は謙譲語も不要と主張している。
問題は謙譲語の存在ではなく、場面に合わせて尊敬語と謙譲語を使い分ける相対敬語が常識とされていることだろう。 
ちなみに、常に尊敬語を使うのを絶対敬語というらしい。 初めて知った。

 相対敬語については、

  現代日本語は本当に相対敬語なのか

の解説が分かりやい。 そして、「言葉のレシピ語楽」によると、相対敬語が定着したのは昭和中期以降で、それまでは絶対敬語だったらしい。

 日本人が場面に合わせて尊敬語と謙譲語を使い分けるようになったのは、つい最近ということだ。 言葉は時代とともに変わるから、昭和中期以降は相対敬語を使った方が都合が良い社会に変わったのだろう。 だから、相対敬語は日本人にとって変えてはならない常識やルールというわけではなさそうだ。 統一すべきという投稿者の主張はあながち荒唐無稽ではない。

〇身内だから

 相対敬語では「身内」の概念が重要になる。
投稿者は「身内=肉親」くらいの定義なのかと思う。 しかし、「身内」を若者言葉でいうと「うちら」くらいではないだろうか。

 若者も、会話の中で、「うちら」と思っている第三者のことを言うときには呼び捨てにするのではないだろうか。 当然、「うちら」の範囲は個人によって変わる。

 昭和中期では、多くの人が会社の同僚や上司を「うちら」と思っていたが、最近の若者は、会社の同僚や上司を「うちら」と思わなくなってきたということだろう。

 それは、時代が変わって社会が変わっているのだから自然なことだろう。 今後相対敬語は無くなるのかもしれない。 

〇「どっちかに統一しろよ」

 相対敬語は謙譲語の言い回しもさることながら、話している外部の人と、話に登場する内部の人の関係が濃厚な場合には謙譲語を使ってはいけないなど、場面に合わせてた使い方が難しい。 これをを見様見真似でマスターするのは結構大変だから、若いときは「どっちかに統一しろよ」と思ってしまうのも無理はない。

 尊敬語と謙譲語とを場面によって切り替えると考えると難しいが、簡単な方法は、身内の人が部外の人に自分のことを言う時のように言えばよい。

たとえば、担当者の自分(サトウ)と上司のスズキ課長が客先で説明する場合、

  • サトウさん : 「担当の私サトウがご説明いたします。」
  • スズキ課長: 「課長の私スズキがご説明いたします。」

と言うだろう。 サトウさんが上司のスズキ課長のことを言うとき、スズキ課長が担当者のサトウさんのことを言うときも同じように言う。つまり、

  • スズキ課長がサトウさんのことを言う場合: 「担当のサトウがご説明いたします。」
  • サトウさんが上司のスズキ課長のことを言う場合:「課長のスズキがご説明いたします。」

と言えばよい。

 外出中の電話を取る場合には、留守番電にメッセージを録音するならどう話すか考えるとよい。

  • サトウさん :「サトウです。ただいま外出しております。」、
  • スズキ課長:「〇〇課長のスズキです。ただいま外出しております。」

と言うだろう。 サトウさんがスズキ課長の外出中に電話を取ったら、スズキ課長の留守電メッセージのように「課長のスズキはただいま外出しております。」と言えばよい。

 身内の人はちゃんと敬語が使えることが前提だが。

閑話休題

 若者だけでなく年長者にも相対敬語が使えない人は少なからずいるように感じる。 
マネジャの観点では、好きでも嫌いでも相対敬語が使えるようになってほしいと思う。

 相対敬語が使えない人に共通しているのは、自分が話している相手側の観点が無い。
更に経験では、相対敬語が使えない組織は組織内での上下関係が重要視される傾向にあるようだ。 例えば、役所や大企業などの階層型、官僚型の組織などだ。

 つまり、外部との関係より身内の関係の方が重要と考えている人は相対敬語が使えない。 言い換えれば、顧客志向ではなく、組織内での自分のポジションが重要と考えている人は相対敬語を使わないということだ。

 外部の人の立場で、身内に敬語を使う人を見ると、この会社も官僚的なんだろうな、組織内の都合の方を優先するんだろうなと思ってしまう。 また、担当と話を詰めても組織としての総意ではないんだろうなと思ってしまう。

 将来、個人と組織との関係が現在のように濃厚・従属的な関係から希薄・対等な関係に変化していくと、それに伴って相対敬語は使われなくなるのだろう。それは自然なことだ。

 しかし、外部との関係より内部での関係の方が重要だから相対敬語が使えないのとは根本的に違うと思う。 相対敬語が使えない理由を考えてみると、組織の歪が見えてくるかもしれない。


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