県立高校の髪型ルールに「細かい」の声 <「らしさ」と「らしさの限界」が考えられなくなってる>
県立高校の髪型ルールに「細かい」の声 「サイドを短くする」「横髪が出ている」は校則違反 J-CAST NEWS 2019/4/26
最近この手の話題が多い。
学生も、教師も、保護者も、そしてネット民も思考停止していると思う。
昔昔、小学生だったころ、中学生は坊主頭だった。 校則で決まっていたのだ。 その頃、ちょっと上の世代は生徒会が中心になって校則を変えた。 ちょっと上の世代はしらけ世代と呼ばれていたけど、全共闘世代の名残があって、中学生でも髪型は自由だと主張して校則を変えるだけのパワーがあった。
その世代がこの記事を読むと「アホらしっ」と思うのだろう。
たいてい高校にはその高校独自の「らしさ」がある。 特に歴史がある学校は代々伝わっている「らしさ」がある。 校則で決めている髪型とか服装は、「らしさ」の限界、つまり理想的な「らしさ」からの距離を決めるということだろう。
当然のことだが、理想的な「らしさ」も、「らしさ」の限界も時代とともに変わる。 ところが、この議論をしている、学生も、教師も、保護者も、そしてネット民も、それが変わらないことを前提にしているのではないだろうか。
つまり、思考停止している。
思考停止していることは意外に楽で、考えることは大変だ。 でも、
教師は理想的な「らしさ」と「らしさの限界」を考えるべきだ。
そうすれば校則が妥当かどうかが分かる。 誰が何を考えて決めたか分からないような校則で生徒を縛るよりよほどましだろう。
生徒も「らしさ」と「らしさの限界」を考えなくてはならない。
自分で考えた限界は守ろうとするものだ。 誰が決めた変わらないような校則に縛られるよりよほどましだろう。
生徒は思うだろう。
教師は大人だから「らしさ」を考えられるが、生徒は未熟だから「らしさ」を考えることができないと。
ところが、大人になっても「らしさ」を考えられない人はいるものだ。 それは、たいてい、学生の時に「らしさ」を考えていない人だ。
学生の時に「らしさ」を考えなかった人は、大人になっても「らしさ」を考えられなくて、誰が何を考えて決めたか分からないような規則を、自分の子供に強要しなくてはならなくなる。
そして、考えられない連鎖は続く。
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