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2019年9月

2019年9月29日 (日)

阿部捕手引退記事 炎上?

ファン激怒! 巨人、阿部の現役引退をまさかの人物がフライング暴露「こんな形で知りたくなかった」 (2019/09/24)

 新聞配達員が配達前に阿部捕手の引退記事をSNSで拡散したことが炎上したそうだ。最近炎上記事に興味がある。

 阿部捕手の現役引退については巨人ファンでもないし、特に感慨もない。

 数時間早くSNSで引退を知らされることを問題にする人がこんなに多いのが意外だが、ネット民の動向もまあそんなものだろう。

 それはさておき、メディア戦略という観点で考えてみた。

 新聞は前日に取材し記事にして翌朝配達する。テレビ、ラジオも前日取材して、朝のニュースで取り上げる。取材から読者や聴衆に届くまでにタイムラグがあるということだ。タイムラグのおかげで、一斉報道が可能となってインパクト効果を狙うことができる。

 ところが、このタイムラグは今時では長すぎるということではないだろうか。

 旧来のマスメディアのタイムラグは、ICTを使用すると短縮できる。この炎上で図らずもこの事実が明らかになった。そして、たかだか数時間でこの騒ぎになるなら、ネットで速報する価値があるということだ。

 ネットで速報するようになれば、新聞というメディアの存在価値は相対的に減ることになる。旧来の新聞というメディアを維持する必要が無ければ、旧来のタイムラグを維持する必要はない。しかし、新聞というメディアの変革時期が来ていることは、とうにわかっていて、今更わかったわけではない。

 つまり、新聞というメディアは意図してタイムラグを短縮していないともとれる。

 速報という報道に課せられた使命の遂行を怠っている。という非難に対して、新聞というメディアは何と答えるのだろうか。


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2019年9月27日 (金)

筆算の線、手書きダメ? <自分の頭で考える習慣が無い人たち>

西日本新聞に「あなたの特命取材班」という企画があって 、そこに↓こんな記事があった。

  筆算の線、手書きダメ? 小5、160問「書き直し」 (2019/9/24)

 筆算の横線が手書きだったとして、担任に「書き直し」を命じられたというもの。

教師に対する不満とか、学校の理不尽な規則とかよくある話題だ。ちょっと、考えてみた。

  • 今後は、誰かが決めた正解を覚えるの記憶力より、自分の頭で考えて最適解を求める思考力が重要。
  • 教師や親世代は、記憶力が優位な人達だから考える習慣がない。
  • 親世代は自分で考えて結論を導き、それを子供たちに説明しなければならない。

〇2020教育改革

 2020教育改革の肝は「記憶力より思考力」だと思う。

 現在、常識だとされていることや、先人が思考して得られた結果を記憶するだけでなく、その先を自分で考えられるようにしようということだ。

 ところで、この改革の最大のネックは親と教師ではないだろうか?。

 偏見が含まれていることを容赦願うとして、

 特に教師は、ほぼ受験戦争(記憶競争)に適応した人だから、思考力より記憶力が優位ではないだろか。同じように、いま、子供を育てている親世代も同じだろう。いま、そこそこ以上の収入と、そこそこ以上の地位を得ている親も、思考力より記憶力が優位だろう。

 社会構造が記憶力有意の人間でできていると言って過言ではないだろう。このような社会で「これからは思考力の時代です」と言っても急激な変化は期待できないのではないだろうか。

 記憶力が優位な人が全て思考力が無いわけではない。思考する習慣がないだけだろう。 

 思考の習慣がない人を見分ける方法は簡単だ。常識的なことを「なぜそうなの?」と聞いてみると良い。思考の習慣がない人は、困ったら「決まりだから」と言う。まるで、「決まりだから」は「考えたくない!!」という心の叫びのようだ。

 と考えると。

〇「なぜ筆算で定規を使わなければならないのか?」

 「なぜ筆算で定規を使わなければならないのか?」の問いに「計算ミスが減るし、みんなにやらせている」とか「学年で決めています」と答えた教師は「考えること」ができないのだろう。

 「学年で決めています」と答えれば、「なぜ、学年でそう決めたのか?」と質問されるに決まっている。その教師は、おそらく「なぜ、計算ミスがへるのか」「なぜ、みんなにやらせているのか」、「なぜ、学年でそう決めたのか?」に答えることができないのだろう。考えられないんだから。

 同情する事情はある。

 これまで、しつこく「なぜ」を問う子供は教師から鬱陶しがられて、教師になるための教育を受けられない可能性が高かったのだから。だから、教師になるような人は子供の頃から「なぜ」を問わなかったのだ。そして、大人になってから、その習慣を変えることはできない。

〇親世代は

 親世代は、学校や教師の理不尽を責めるだけではいけない。なぜなら、親自身も「なぜ」を考えられない可能性が高いのだから。

 であれば、親自身も「なぜ筆算の横線を、全て定規で引く必要があるのか」を考えなければならない。

 誰かに、問うだけではダメだ。自分で考えて結論を導き、その正しかどうか分からない結論を子供に説明しなければならない。もちろん、合理性は無いという結論に至るかもしれないが、それを説明しなければならない。子供は素直に「なぜ?」と尋ねるけど...

 面倒なことだけれど、面倒なことを全て教師に任せてはならない。

〇まとめ

  • 今後は、誰かが決めた正解を覚えるの記憶力より、自分の頭で考えて最適解を求める思考力が重要。
  • 教師や親世代は、記憶力が優位な人達だから考える習慣がない。
  • 親世代は自分で考えて結論を導き、それを子供たちに説明しなければならない。

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2019年9月25日 (水)

NEWTYPE ニュータイプの時代(1) <ルールより自分の倫理感に従う>

時代を生き抜く24の思考・行動様式 NEWTYPE ニュータイプの時代 山口周 ダイヤモンド社

Newtype

 山口周氏は、コンプガチャの問題や医療系キュレーションメディアの問題を取り上げて、オールドタイプの「ルールさえ守ればよい」という考え方はリスクが高く、変化が早い社会では、自分の倫理観に従って判断するべきとおっしゃる。

 「やらなくてはならないこと」と「やってはならないこと」はルールで、この間に「やっってもやらまくてもよいこと」がある。
「やってもやらなくてもよいこと」なので、やってもやらなくても罰せられることはない。 しかし、やるのか、やらないのか判断しなければならない。これからは自分の倫理感に従うべき。

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 ↑のような図で考えてみた。ルールには「やらなくてはならないこと」(白)と「やってはならないこと」(黒)の間に「やっってもやらまくてもよいこと」(グレー)があって、境目は明確だ。自分の倫理観では「やる」(白)か「やらない」(黒)か、その境界は、ルールの「やっってもやらまくてもよいこと」(グレー)の部分にある。

 ルールは時と場所により変わる。しかも恣意的なルール変更もある。
ルールを作ってそれを運用するのはコストがかかるから、顕在化した問題から法整備される。法整備はいつも現状の後追いだ。つまり、合法だった行為がある日突然違法になる可能性があるということだ。これはリスクが高い。

 特に、サイバーセキュリティの世界は法整備が遅れている。
例えば、ウイルスを作ることは2011年に刑法が改正されるまで違法ではなかった。取り締まる法(ルール)が無かったのだ。
しかし、法ができる前からマルウエアを作り他人のコンピュータに感染させる行為は行ってはならないと考えていた。これが自分の倫理感だ。

 サイバーセキュリティ業界の識者の人は「倫理が重要だ」とおっしゃる人が多い。しかし、その内容は「ルールを守りましょう」だ。冒頭の図でいうと、まるでグレーの部分が無いかのようだ。いや、サイバーセキュリティ業界には倫理観が無いのかもしれない。

 ITやサイバーセキュリティの分野では技術に法整備が追いつかないから、グレーゾーンが広く、やるべきかやらざるべきかを自ら判断しなければならないケースが多い。

 サイバーセキュリティ技術者として、グレーの部分にどう向き合うか。これがサイバーセキュリティ技術者の倫理だ。識者の方、特に人材育成に携わる方には、「ルールを守りましょう」ではない、サイバーセキュリティ技術者の倫理観を教えて欲しい。

 サイバーセキュリティ技術者はオールドタイプでは務まらない。ニュータイプに必要なものは倫理観だ。



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2019年9月23日 (月)

つるの剛士、娘・友人の電話の受け答えに困惑

 電話で要件を話し始めるまでのやり取りを「もしもしプロトコル」と呼んでいる。

  電話マナー <もしもしプロトコルが喋れない> (2016/11/10)

 子供だけでなく平成生まれの大人でも「もしもしプトトコル」が話せない人は多いようだ。

 「最近の若い者は!」と言う前に自分がなぜ「もしもしプロトコル」がなぜ話せるか考えてみると、大抵は大人に教えてもらっているはずだ。

 今時、子供だけでなく大人も固定電話でなくスマホを使うから、子供が「もしもしプロトコル」を教える機会が無いのだ。大人が教えていないのだから話せないのは当然だと思う。

 もうしばらくは必要なスキルだろう。ちゃんとした(古い)会社に就職すると電話マナーを教えてくれるけど、ちゃんと話せるようになるためには訓練が必要だ。

 でも、これから先いつまで必要かは分らない。つるの剛士氏の娘さんたちが職に就くころには、重要性は低くなっているだろう。

  堀江貴文氏「電話してくる人とは仕事するな」 東洋経済 堀江貴文 (2017/06/05)

↑のような人もいる。というか、電話によるコミュニケーションは効率が悪い。

 コミュニケーションの作法を子供たちに教えるのは大人の責任だ。電話かメールかメッセンジャーかという通信手段にフォーカスすると、今後新しい通信手段が現れるとコミュニケーションの作法が教えられなくなるのではないだろうか。

 通信手段ではなく、コミュニケーションとは何か、コミュニ―ケーションの必要性を考えないと、コミュニケーションの作法は教えられなくなる。

 例えば、「コミュニケーションは相手を確認しなければ成り立たない」と考えると、電話では要件を話す前に相手を確認して名乗らなくてはならないし、SNSでは誰が書いたか分からない情報をむやみに拡散してはならないことは理解できるだろう。

 通信方法に拘ると今以上に世代のギャップが広がると思う。


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2019年9月21日 (土)

秋月電子炎上? <3つの観点>

 秋月電子が火事になったという話ではない。

 秋月電子の店員の対応が悪かったというツイートが炎上したらしい。Twitterの投稿もまとめサイトも削除されている。魚拓が部分的に残っていたので読んでみた。

 店員の対応に対する苦情はよくあることだ。電子部品販売店に限っても昔からよくある話題だ。 秋月電子通商 <ワクワク感が無くなった気がする> (2016/05/18) でも書いた。 ただ、最近は炎上してしまう。

 3つの観点から考えてみた。結論は、

  • 不毛な問答を回避するのは技術ではなくヒューマンスキルである。
  • 秋月電子は、素人という顧客を開拓したが、対応は玄人を想定している。
  • 電子部品販売店に電気回路の妥当性の判断、部品の選択、部品選択の妥当性の判断は委ねられない。

〇質問対応

 質問に対して回答が得られないことはよくある。たいていは双方が想定範囲に入っていないことが原因だ。

 質問する人も、回答する人も、想定している相手の範囲がある。双方とも、少し話すと相手が自分の想定範囲内かどうかわかるはずだ。

 秋月電子のページに

 (株)秋月電子通商 店舗ご利用規程 (http://akizukidenshi.com/pdf/contents/akiba/shop_usepolicy.pdf)

があって、その中の「技術的なお問い合わせ」の項目を読むと

  • 技術的な問合せは商品の使用想定範囲内に限ること
  • 店員が技術的質問への回答は参考情報であり、その使用は客が責任を持つこと

と書いてある。つまり、秋月の店員はこのスタンスで回答していたのだろう。

 回路図を書いてみせて、どんな部品を使えばよいか教えろと言われると、売る側は困ってしまう。下手に売って後腐れがあるから売りたくないのが本音だろう。小商いで後々までクレーム対応するのは割が合わない。

 ところが質問した側は、秋月電子に部品の販売だけでなくソリューションの提供までを想定していたのだろう。しかし、それは無理というものだ。ソリューションの提供ができる人材を雇っていたのでは採算が取れない。

 重要なことは、質問するときに相手が自分の想定内に入っているのか確認すること、そして、自分が相手の想定内に入っているのか確認すること。双方が想定内に入っていないなら、不毛な問答になること必至だ。

 不毛な問答を避けるのは技術ではなくヒューマンスキルによるところが大きい。今回の件は、双方が不毛な問答を避けるヒューマンスキルが無かったことが一因ではないだろうか。

〇秋月電子の位置づけ

 昔から秋葉原の部品屋で買い物をしていると、相談できる店(人)が分かってくるものだ。
昔、秋月電子は質問してはいけない店だった。現品限りの商品も多く「有る物はあるけど無い物は無い」そういう店だったし、昔の部品屋は業界人かマニアを相手にしていたから、質問しなければならないような客は想定していなかったのだろう。

 今や秋月電子は正規品を安価に提供する店になった感がある。(アヤシさが無くなった) そして、電子工作の入門雑誌などで紹介されることも多く、トラ技やCQ誌だけでなく広告を掲載している雑誌も増えた。電子工作の普及の一端を担っていると言っても過言ではないだろう。

 とすると、当然素人も来店するし、知識の足りない人も来店する。つまり、秋月電子が想定しない人も来店する。その状態を招いたのは他でもない秋月電子の戦略だ。

 秋月電子は、玄人相手の商売が普通だった秋葉原で、素人という新しい顧客を開拓した。しかし、客に対する対応は玄人相手のままのようだ。このギャップが今回の問題の一因ではないだろうか。

〇エンジニア

 Twitterへの投稿のタイトルが「つばさ@エンジニア」になっていて、この部分に反応した人も多かったようだ。投稿の技術的な内容が「エンジニア」のやり取りには思えないと思った人は多いようだ。

 日本では、技術者、技能者から技能系作業者までエンジニアと称するからややこしい。 「エンジニア、テクノロジスト、テクニシャン」(2016/08/02) 最近はアートと技術が近づいてきた。(Arduinoの存在は大きい) アートと技術の双方に明るい人は貴重だ。ところが、アート界隈ではエンジニアと名乗り、技術界隈ではアーティストと名乗る人は厄介だ。

 また、エンジニア(技術者)とテクニシャン(技能者)を分けて考える人も少ない。技術者は知識ベース、技能者はスキルベースで両方の能力を持っている人材は少ないから、製造の現場では設計と製造は分けるのが普通だ。

 この件の場合、投稿者は電子回路の妥当性とそれを実現するための実装に関する質問をしたようだ。しかし、それに応えられる人は少ない。普通に考えれば部品屋のレジにはいないだろう。

 エンジニア(技術者)を名乗るなら電気回路の妥当性は判断できるだろう。そして、必要な部品の仕様を示せるだろう。今時、テクニシャン(技能者)でなくても、ネットを使うとその仕様に該当する製品の型番くらいは調べることができる。

 秋月電子の店員は、示した型番の部品の在庫があるかどうかの知識は当然ある。

 「エンジニア」を名乗りながら、すべてを店員に委ねたのが、炎上した一因かもしれない。

〇まとめ

  • 不毛な問答を回避するのは技術ではなくヒューマンスキルである。
  • 秋月電子は、素人という顧客を開拓したが、対応は玄人を想定している。
  • 電子部品販売店に電気回路の妥当性の判断、部品の選択、部品選択の妥当性の判断は委ねられない。


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2019年9月19日 (木)

「パソコンに詳しい人」 <専門性ではなくリテラシーの有無かな>

「パソコンに詳しい人」の気持ちを代弁したツイートに共感の声が集まる (2020/02/15)

「パソコンに詳しい人」の大半はパソコンに詳しいのではなく、あなたの代わりに調べてあげてるだけなのですよ。

 

 「パソコンに詳しい人」はどれくらい詳しいか分かっているけど、「詳しくない人」は自分より「詳しいか」「詳しくないか」しかない。これは、パソコンに限らず何でも言えることだろう。

 最近は、ぐーぐる先生に尋ねると大抵教えてくれる便利な世の中になった。そして、「詳しい人でも」「詳しくない人」でもおなじキーワードでググったら大抵同じ結果が出てくる。現代社会では検索スキルはかなり重要なスキルになってきた。

 問題は検索スキルにありそうだが、それだけではない。

 もっとも重要なのはリテラシーではないだろうか。 リテラシーが無い人は検索結果を評価できない。だから、必要な情報が表示されていても気が付かない。つまり、情報が無いのと同じことだ。

 「パソコンに詳しい人」を頼る人は、「な~んだ。調べないと分からないのかぁ」などと言ってはいけない。金になる他人の能力をたかっているのだから。



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2019年9月17日 (火)

Mobility 3.0 <世界はGoogle帝国になってしまうのか?>

Mobility 3.0 ディスラプターは誰だ? アクセンチュア 戦略コンサルティング本部 モビリティチーム 東洋経済新報社

Mobility30

 コネクテッドカーや自動運転に関わることが多くなった。仕事柄技術に偏りがちなので、おさらいで読んでみた。

〇過去の革命的変化

↓この写真は、自動運転やAIのプレゼンでよく使われる。内燃機関を動力にした自動車によって社会が短期間にしかも劇的に変わった例だ。

↓1900年のニューヨーク5番街

↑(https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/4/4e/Ave_5_NY_2_fl.bus.jpg/800px-Ave_5_NY_2_fl.bus.jpg)

↓1913年ののニューヨーク5番街

↑(https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/4/4e/Ave_5_NY_2_fl.bus.jpg/800px-Ave_5_NY_2_fl.bus.jpg)

〇現在の革命的変化(CASE)

 同じような変化が起ころうとしている。

 自動車業界の変化はCASE(Connected、Autonomous、Shared/Service、Electric)といわれるが、この変化は自動車産業だけでなく、通信、ハイテク、金融、エネルギー業界に及ぶという。

 今のところ、Shared/Searvice分野での変化が先行しているようだ。日本の自家用車の稼働率は数%らしいので、個人で所有するのと同じ利便性が得られるなら所有しなくなるだろう。

 車がセンサーになってデータが集まると新しい事業が生まれる。
急減速や信号の情報などのデータを集めて分析して保険料に反映するのは既存の事業の連続だが、今現在存在しないサービスが出現するのだろう。

〇自動車業界

 通信とビッグデータとサービスという観点では、GoogleとSoftbankが先行しているようだ。

 2017年のSoftbank wordで講演を聞いたときに、通信関係の講演の他にAIと自動運転の講演が多かった。AI関係が多いのはわかったが、なぜSoftbankが自動運転と思った記憶がある。

 その後トヨタとSoftbankの業務提携が発表された。業務提携はトヨタからのオファーだったらしい。それより前にトヨタはSoftbankからの業務提携のオファーを断っていて、その後トヨタが業務提携先を探していたらほとんどSoftbankが業務提携・資本提携していたらしく、だったら大元のSoftbankと業務提携しようとなったらしい。

 最近トヨタが事業転換するというメッセージを発信しているが、自動運転業界に疎いせいか、いまいちピンと来ない。Softbankにイニシアチブを握られている感があるなあ。

 これまでトヨタは業界の頂点にに君臨していたわけだが、業界自体が変ろうとしている。T形フォードによって、馬車も馭者も馬も無くなって、線路が無い場所にも手軽な移動手段が生まれたように。

〇エネルギー業界

 エネルギー業界への影響は盲点だった。
 日産リーフに充電された電力で家に供給するのは知っていたが、今後車がEVになれば、巨大な蓄電池が出現することになる。これを安定しない再生可能エネルギーのバッファとして使うアイディアだ。その向こうにはスマートシティがある。

〇規制の足枷

 CASEは社会インフラを変えるから、業界だけでなく、行政の取り組みが重要だろう。
どこの国でも行政は縦割りになりがちだ。変革期に規制は足枷になるから行政の対応は極めて重要だろう。

 物にフォーカスするなら、これまでのようにガラパゴス化して細々と産業を保護することができるかもしれない。しかし、今重要なのは物よりデータだ。この変革期の対応に遅れると、世界はGoogle帝国になってしまう。



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2019年9月15日 (日)

管理職に必要な能力はどうやって修得するか

出来る人がエラくになって 〇〇な上司になる!? (2019/09/10)

マネジャへの登用とマネジメントの訓練のお話

 係長、課長補佐に求められる能力と管理職に求められる能力は異なる。そして、登用する際に管理職に求められる能力を基準に評価するのは難しい。名選手名監督ならずの例えはえてして正しい。

 誰でも知っていることだけど、自分は何をするのかまで考える人は少ないような気がする。その点、島田正樹氏は自分の行動まで落とし込んでおられるようだ。

〇考えてみた

 官僚的階層型組織に求められる能力は業務遂行能力だ。優秀な人材とは指示を的確に遂行する人のことで、いつもHOWを考えているからWHYやWHATは考えない。だから、WHYやWHATが必要な管理職になると「優秀でない」人になる。

 島田正樹氏の指摘のように管理職になる前に教育や訓練すれば良いことは誰でも思いつくけれど。

 なぜ、管理職に必要な教育や訓練をやらないのか?

〇組織の問題

 戦後の昭和は、何のために、誰のために、何をやるかが固定されていて、管理能力が低くてもそこそこ仕事は回っていたから、管理能力が高い者を選別する必要はなかった。だから、教育したり訓練する必要はなく、年功序列で昇任させれば十分だった。

 組織が求めているのは業務遂行能力と指示を確実に遂行する能力だ。管理職の指示も重要だが、やることがわかっていれば、逐一指示しなくてよい。だから、管理職は的確な指示ができる者を選別する必要はない。

 これで、高度成長を果たした。

 昭和の終わりには、このやり方が行き詰まっていたのに、なぜ、平成の30年で変わらなかったのか?

 それは、何のために、誰のために、何をやるかを考える者を管理職にしなかったし、それを考えることを強制せず、前例踏襲を許したから。 前例踏襲の管理者は時代の変化に対応できない。残念ながら、管理能力のない管理職は管理能力を評価できない。

 結果論だが、やることは分っていて逐一指示しなくて良くても、管理能力が高い者を選別すればよかったのだろう。

〇個人の問題

 多くの人は、年功序列で昇任しても、自分の能力が向上したように思ってしまう。年功序列で管理職に昇任したら、管理能力があると勘違いしてしまう。

 管理職に必要な訓練も勉強もしていないのにね。

 だから、年功序列で昇任させているかぎり、自助努力にによる能力向上は望めない。

〇昇任する前に何をするのか

 まず、自分は、自分達は、何のために、誰のために、何をやるかを、自分が納得できるまで考えることだと思う。

 これが分からない者が管理職になると間違った方針が高い業務遂行能力で実行されることになる。しかし、それが分かれば、もともと高い業務遂行能力が活かされる。


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2019年9月12日 (木)

人間+マシン <経営者とIT技術者とAI技術者とのコーディネートができる人材>

人間+マシン ポール・R・ドーアティ、H・ジェームズ・ウィルソン  東洋経済新報社

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 AIは一時の騒ぎは収まった感がある。これから本格的な実用化フェーズに入るのだろう。

 AIに仕事を奪われるとか、AIによって新しい仕事が生まれるとか、色々な観点の議論があったが、いったいどれが正しいのかわからない状態だった。

 この本では、これまで語られなかった、人間とマシンが協力して、ビジネスにおけるパフォーマンスを桁違いに改善する領域を「ミッシング・ミドル(失われた中間領域)」説明している。

 AIにできない、判断、創造、共感、主導の領域、AIに置き換えられる、適応、予測、反復、トランザクションの領域以外にAIを使って人間の能力を拡張する、具現化、相互作用、増幅、人間が機械を補完する、維持、説明、訓練の各領域を、ミッシングミドル領域と呼んでいる。

 将来AIに奪われる仕事、奪われない仕事の他に今までなかった仕事が出現するということだ。

 この分け方は全ての仕事が含まれるので、AIに興味が無くても読んでみると良いと思う。

 経営陣が取るべき5つのステップが示されている。
この中で、ステップ1

①経営者は適切なマインドセットを持たなければならない。そして単なる業務プロセスの改善にとどまるのではなく、業務プロセスと仕事のあり方を根本的に再設計することにフォーカスしなければならない。

そして、

既存の業務プロセスを是としてその自動化をするためにAIを使っていては、既存の延長線上にある改善しか期待できない。

ここが重要だろう。このことは経営者に限らずマネジャも理解する必要がある。

 AIやITに疎い経営者やマネジャが、AIを導入することを目的にすることが考えられる。
AIを導入すれば、プロセスの自動化はできるかもしれない。首尾よく自動化できれば、大なり小なり効果はあるのだろう。しかし、プロセスを検討しなければ効果は原的だろう。

 自動化できるようなプロセスは、現在の環境において最適でないことが多い。そのプロセスが始まった頃には、ITで実現できなかったり関連部署が対応できなかったりという理由で必要だったプロセスがあるだろう。とこが、今現在そのプロセスが必要とは限らない。いや、必要ない可能性は高い。

 今時、昔では考えられない性能のコンピュータは安価に手に入るし、漏れなくネットで接続されている。昔では考えられなかったサービスがITを活用して実現されているから、外注も可能だ。

 プロセスの検討は現場に任せきりにしてはならない。
そのプロセスに精通した人は必要だが、プロセスにフォーカスするあまり、プロセスの必要性まで考えられないことは多い。また、他部門との調整が必要であったり、古い規則に縛られて無駄なプロセスを廃止できないこともある。調整や規則の見直しには権限が必要だから、マネジャや経営者の関与が必要になることもある。

 Interop2019のセミナーで聞いたところでは、IT部門はAIの導入に消極的なのだそうだ。
AI技術が既存のIT技術とは異なる部分が多いことも一因だが、現場に精通しているAI技術者がいないことが影響しているようだ。

 とすると、経営者とIT技術者とAI技術者とのコーディネートができる人材が重要になる。 プロセスの改善に関する経験があれば最強だ。

 新しい仕事になるような気がする。


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2019年9月10日 (火)

台風15号 <BCPを考え直す>

 今回の台風15号は、毎年やっている防災訓練よりBCPを考え直す機会になった。

分かったことは、

  • 昔のように、最悪徒歩で出勤できることが前提ではないか。
  • 昔と比べて、台風など自然災害の予測精度は格段に向上している。
  • 災害が予測される場合の行動はその都度事前に周知することが必要。

〇とりあえず出勤

 今回は台風だったから交通機関への影響は限定的である可能性は高い。しかし、とりあえず家を出て動いている交通機関を乗り継いで職場に向かうという行動は正しいのだろうか?

 昔は、職場の近くに住んでいる人が多かったから、公共交通機関が動いていなくても何とか職場にたどり着くことができた。だから、深く考えないでとりあえず出勤する事が習い性になっているのではないだろうか。

つまり、出勤することが目的になっていて、業務の継続や遂行が考えられていないのかのしれない。

〇台風の予測

 昔は、自然災害の予測はあてにならないことが多く、発生してから状況を確認してから対応しようと考えていた。

 ところが、今回の台風15号は台風になる前から日本直撃コースが予測されていた。そして、早い段階で予測は絞られたから、鉄道各社は早い段階で運休を決めていた。

 近年、鉄道各社は早い段階で計画運休を発表してして乗客の混乱を避けているようだ。計画運休の意思決定を支えているのが、気象の予測精度の向上だとろう。

 乗客も早期に計画休業を考えるべきだろう。

〇インシデント発生時の行動

 東日本大震災の後に交通機関が混乱した際には、交通機関が復旧するまで自宅待機の指示があった。前の部署では遠距離通勤者が多かったので、自然災害が予測されそうな場合には、積極的に休暇を取得するように指示があった。

 その時の上司は普段からインシデント発生時の行動を考えておられたのだろう。

 インシデント発生時の行動について事前の計画と明文化が必要だ。しかし、いつも覚えていられるわけではないから、訓練と周知が必要だ。今回の台風などはよい機会だ。訓練のための訓練より、このような機会に訓練を実施すればよいのにと思う。

〇自分は何をしたか

 金曜日に、首都圏直撃の可能性が高まったの時点で、一刻を争う仕事は無かったので休暇を取って、計画休業した。


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2019年9月 8日 (日)

男性稼ぎ主モデルからの脱却 <意識を変えるべきは40代の中間管理職>

[議論]上野千鶴子「男性稼ぎ主モデルからの脱却急げ」 2019年8月28日

 今年の東大の祝辞で話題になった上野千鶴子氏のインタビュー記事

上野千鶴子氏は

法律もできたけれど、日本の企業社会は根本的に、何も変わっていないというわけですか。

の問いに

上野氏:そうです。この男性稼ぎ主モデルを、日本企業は半世紀以上も続けてきています。男性稼ぎ主モデルは高度成長期の成功モデルで、これを惰性のように今も維持しているわけです。

そして、

トップはもちろんですが、中間管理職の男性たちが今すぐ意識を変えないと、日本企業はますます沈没していくでしょう。

とおっしゃる。

 意識を変えるべき40代の中間管理職は、意識を変えるようと思っても簡単ではない事情があるのではないだろうか。

例えば、住宅ローンという大借金を返済するために長時間労働、長時間通勤、単身赴任していれば男性稼ぎ主モデルから脱却することは難しい。

 今後、長時間労働が規制されると若い世代から男性稼ぎ主モデルは徐々に変わっていくだろう。若い世代は好むと好まざるに関係なく男性稼ぎ主モデルを選択できなくなる。

 ところが、意識を変えるべき40代は、抜き差しならない状況で今の働き方を変えられない。将来に対する危険感を持っていて意識を変えたいと思っても、現状の男性稼ぎ主モデルが破綻しないことを祈って走り続けることを選んでしまう。いや、選んでいるのではなく目をつむっているだけだ。

 働き方を変える判断が遅れると、このモデルが行き詰ったときのリスクはかなり大きい。



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2019年9月 6日 (金)

60歳を過ぎても「ひっぱりだこ!」3つの条件 <4つ目の条件がキビシイ>

60歳を過ぎても「ひっぱりだこ!」3つの条件
65歳定年 勝ち組さん、負け組さんの分かれ目

日経ビジネス 野村 浩子 (2019/6/3)

 アラ定になると、この手の記事に敏感になる。

 ライターの野村 浩子氏は60歳を過ぎても「ひっぱりだこ」の条件を

  1. 「目線の低さ」:偉そうなそぶりを見せたり、過去の成功体験をふりかざさない。
  2. 「現場力」:さびつかない専門性を持ち、フットワークが軽い。
  3. 「問題解決能力」:課題を見い出し、一緒に汗を流しながら解決する。
  4. 「良い人柄」:

だとおっしゃる。タイトルは3つの条件だけど、記事の最後に「人柄」が出てくる。

 そして、この記事は

では定年間近ではもう手遅れかと言えば、それは違う。目線を定め直す、マインドセットを変えるのは何歳からでも出来る。これまで積み上げてきたキャリアの棚卸しをしてみれば、現場で使える能力スキルも見つかるはずだ。

で締めくくられている。

 「ひっぱりだこ」の条件は60歳までに積み上げてきた能力だから、定年が目の前に迫ってからどうにかなるものではない。
できることは、目線を定め直したりマインドセットを変えることという指摘は正しいと思う。

 ところが、マインドセットを変えることは難しい。
難しいからこそ、このような記事に価値があるのだろう。定年後に誰でもマインドセットを変えられるなら、あえてこのような記事を書く必要はないから。

 定年に手が届く年齢になった自分はマインドセットを変えられるのか?考えてみた。

 この記事には、「歳をとると新たに能力を獲得することができない」という前提があると思う。
だから、

  • 自身の現有スキルを把握(棚卸)して、金になるスキルを認識する。
  • 金になるスキルの提供に障害となる、横柄な態度や成功体験に拘るといった行動を控える。

という戦略だろう。とても効率が良いと思う。

 先に挙げた「ひっぱりだこ」の条件のうち、自分にとって最も難しのは「人柄」だと思う。
高いスキルを持っていても「人柄」が良くない人とは仕事をしたくないものだ。だから「人柄」が良くない人は、スキルを提供する機会が少なくなり、スキルを認めるられない。

 マインドセットは「人柄」に影響を与えるだろうが、一朝一夕に良くなることは難しいと思う。であれば、定年時点で「人柄」がとりたてて良いとはいえない人は「ひっぱりだこ」になることはないということだ。

 そこは、潔く認めることにしよう。

 定年を不安に思う理由を考えてみた。

 

  • 希少性がある能力を持ち続けられるか
     これまでは、専門的な能力で食っていこうと考えてきたから、希少性がある能力をもっていないと不安だ。
     
  • 現有の能力にニーズはあるのか
     ここ10年来の興味は、マネジメントだったのだが、マネジメントのような汎用的な能力を希少性があるレベルに高めるのは難しい。
     
  • 能力を獲得するまでどうするか
     これまでは、新しい能力を獲得する間も給料は貰えていたので、モノにならなくても、生活に困るという心配はなかった。

 分かったことは、思い悩んでも詮無いことだということ。

 この記事は、歳をとったら新しい能力を獲得することは難しいことが前提だが、前提を疑ってみる。

 歳をとっても新たに能力を獲得することができて、そしてその能力に価値があれば、そこそこの「人柄」でも引き合いがあるのではないだろうか。 そして、「ひっぱりだこ」になろうと思わなければ、そこそこの「人柄」と、そこそこの希少性がある能力で、年金がもらえるまで乗り切ことができるのではないだろうか。

なんか、就活中の学生が自分探ししているみたいだ。


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2019年9月 4日 (水)

売上を 、減らそう <多様な価値観で食っていける>

売上を 、減らそう 。たどりついたのは業績至上主義からの解放 中村朱美 ライツ社

Photo_20190628001201

 2019/6/25のガイアの夜明け佰食屋の特集していたので読んでみた。

 色々な価値観があっても良くて、主流の価値観に従わなくても食っていけるということだろう。

「そんなの 、うまくいくわけがない 」 「アホらしい 」 。
これは 、わたしが佰食屋をはじめる 2か月前に出場したビジネスプランコンテストで 、審査員に言われた言葉です 。
中小企業支援の専門家や大学教授の方々に 、けちょんけちょんに言われました 。

らしい。

 専門家は失敗事例をたくさん見ているから失敗の予測はできるけど、前例のないコンセプトは成功の予測が難しいのではないだろうか。
成功すれば後から成功の理由を考えることはできるけど、成功する理由を先に考えることはできないのだろう。
しかも、成功に必要な理由は1つではない。

 佰食屋の経営は、顧客満足度もさることながら、従業員満足度が高いようだ。
 利益の最大化と従業員満足度は相反する可能性が高い。利益を追わないと決めたからできるのだろう。

 佰食屋は普段1つの店舗を5人で営業していて、誰かの都合が悪くなって1人来れない場合は、

いつもよりも一人少ない四人体制でお店を回すことになるなら 、そのぶん 2 0食少ない 8 0食を目標にします 。

らしい。

 合理的だ。
経営者が宣言しないと従業員は店のアウトプットをクリアしようとする。特に満足度が高い従業員はつい無理をしてしまう。
そして、経営者は無理をするのが当然と思ってしまう。 すると、従業員満足度が下がる。

 前の職場に2時間の時短勤務をしている人がいた。
評価する立場だったので、アウトプットはフルタイムで勤務している人の6/8でよくて、そこを基準に評価することを伝えた。

 どうも、それまでフルタイムと同じ人の基準で評価されていたようだ。
時短勤務している人は他の人より、遅く出勤したり、早く帰ったりするので後ろめたい気持ちになるものだ。
だからと言って、6/6ではなく8/6のアウトプットを求めるのは、搾取というものだろう。

 これまでの働き方は、可能な限り上を目指すという価値観しかなかった。
だから、望まない移動も受け入れて単身赴任する人が多かった。単身赴任しないことと給料や役職が上がることが相反するなら、どちらかを選べば良い。 ところが、価値観の多様性がない場合は選択できなくなるように有形、無形の圧力が働く。職場の風土や空気の怖さだ。

 余談だが、可能な限り上を目指すという価値観の職場はピーターの法則が働くので、無能レベルに達した者ばかりになる。

 佰食屋は1日100食限定だが、更に減らして、1日50食限定の佰食屋1/2のフランチャイズ展開するらしい。2人で朝10時から16時まで働いて50食売れば年収500万だそうだ。

 オヤジの世代はシャカリキになって長時間働いて、縁もゆかりもない土地に転勤して、退職金をもらったけど、今時の若い人達はそんな働き方はできないだろう。だったら多様な働き方があってよい。

 オヤジの世代は有形資産だけを追って、定年前に無形資産の少なさにようやく気が付いたけど、若い世代は有形資産と無形資産のバランスは自分で決めればよいのだと思う。


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2019年9月 2日 (月)

厚労省の若手チームの緊急提言を読んでみた

 あちこちで厚労省の若手チームの緊急提言が取り上げられていたので、「厚生労働省の業務・組織改革のための緊急提言」(90ページの大作)を読んでみた。

 ネットでは自ら明かしたブラックぶりが注目されている。中央省庁が労働環境の悪さを公式サイトで公表するのはこれまでになかったことなので注目されているのかもしれない。公開から1週間経過してこの提言書に関する意見が出てき始めたようだが、「改革の提言」にフォーカスして考えてみた。

 なぜ、「改革の提言」にフォーカスするかというと、ここ何年か個人的に「組織風土改革」に取り組んでいるので「組織改革」、特に改革が必要な問題の真因や課題を解決するための具体的な行動に興味がある。厚労省という組織の性格上、政治や国民とは切り離せないが、その部分には触れず、「組織改革」という観点から考えてみた。

 読んで違和感を感じたのは、

  • 提言する側は悪い労働環境の被害者という位置づけ
  • 「改革」を謳いながら、内容は「改善」であること
  • 他人に行動を求める内容で、自分の行動がないこと

だ。

〇労使問題?

 悪い労働で働かされている多くの職員を代表して実情を訴える感が溢れている。いうなれば民間企業の労使問題で労働者側がマスコミを巻き込んでいる構図のようだ。

 国民目線では厚労省職員が労働環境が悪いと言われても困る。厚労省の労働環境を改善するのは国民の責任ではない。それとも、厚労省の行政上の課題が改善されないことの言い訳かと勘ぐってしまう。

 労働者から経営者に対する提言だとすると、厚労省の経営者は誰だろうか?。公式サイトで国民に向けて公開する目的は何なのだろうか?。つまり、この提言書は誰に向けたものか明確でない。

〇「改革」なのか「改善」なのか? 

 この提言書のタイトルは「改革の提言」だが、内容は「改善」だ。「改革」は大見出しだけで、その他は見出しも「改善」になっているから、「改革」と「改善」を勘違いしているわけではさそうだ。おそらくこの提言書は「改善についての提言」だろう。

 言葉の遊びではなく、「改革」と「改善」は似て非なるものだ。「改善」は現状の肯定から始まるが、「改革」は現状を疑うことから始まる。『「厚生労働省分割論」への意見』という項目を設けて、現状の組織体制を変えることに対する反対意見が綴ってあるので、旧厚生省と旧労働省とのシナジー効果の検証はしないで現状の体制を肯定しているようだ。

 つまり、現状を疑うことから始まる「改革」ではないのだろう。

〇誰に向けた提言か?

 誰に向けたのかがわかる部分がある。

・このため、今回の緊急提言については、先日事務次官をチーム長として立
ち上がった「 厚生労働省 改革実行チーム」において、しっかりと受け止めて
もらい たい。 この緊急提言の現場での実行主体である大臣官房と各部局が、
若手チームとも 協力しつつ、 緊急 提言における工程表に沿って、 着実に改革
を実施していく 体制の確保に努めていただきたい と考えている

若手チームは、「 厚生労働省 改革実行チーム」と「大臣官房」、「各部局」に対して提言しているいるようだ。「 厚生労働省 改革実行チーム」は具体的だ。「大臣官房」はまあまあ具体的だが、「各部局」って誰だろう。「各部局」の長のことだろうか、「各部局」を構成する職員だろうか?

 改革も改善も「誰」があいまいな対策案は、実行されない。

〇提言者は何を「改革」するのか?

 若手チームは多くの職員の代表という位置づけのようだ。では、若手チームと若手チームが代表している多くの職員は「改革」について何をするのか?が気になる。若手チームの行動については書いてあった。

・なお、若手チームとして も 、緊急 提言のみで完結することなく、 ここに盛
り込まれた対策 の一つ一つ について、 各部 局 と連携しながら、 その実施状況
を 把握・ 公表したり、改革内容の分かりやすい周知 やより良い方策の検討等
を行ったりするなど、積極的なフォローアップに努めていく

なるほど、若手チームは「改革」のために提言のフォローアップ(実施状況の把握・ 公表、改革内容の周知、方策の検討)をするらしい。つまり、実施主体ではないらしい。

 経験的には、「改革」や「改善」において自分以外に行動を求めた場合、それはうまくいかないことが多い。それはそうだ。口先だけで麗しいことや正論を吐くだけで、自分では行動しない者に、あれこれ指示されたら素直に従う人は少ない。人はそういうものだ。

〇違和感の正体

  • 提言する側は悪い労働環境の被害者という位置づけ
  • 「改革」を謳いながら、現状の肯定から始まる「改善」であること
  • 他人に行動を求める内容で、自分の行動がないこと

 ここ何年か 「職場の風土改革」を考えてきて分かったことがある。

 長く働いていると(生きていると)、改善方策はいろいろ思い付く。簡単に実現できそうなこともあるし、自分の能力や権限では無理なこともある。でも、最も重要なのは「自分は何をするのか?」そして「行動すること」だと思う。

 「厚労省若手チーム」にとって「何をするのか?」が提言をまとめることだったのだろう。では、次に何をするのか?「改革」の道のりは長い。



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