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2019年10月17日 (木)

現役高校教師座談会 <「論理」は「文学」で学ばなくても>

特集<特集「文学なき国語教育」が危うい!>現役高校教師座談会 「文学」で「論理」は十分学べる 文藝春秋BOOKS (2019/08/21)

 文藝春秋BOOKSの文學界立ち読みで、高校国語の指導要領の改訂に関する現役高校教師座談会の一部が読める。続きは「文學界」9月号で。らしいので読んでみた。

現役教師曰く

 正直に言いまして、誰もが読めばわかるように書かれているものを、どのようにして高等学校で教えていけばいいのか、考えあぐねている状態です。

と。

 この座談会に参加している教師は皆、偏差値60点以上の高校に勤務しておられる。高校は偏差値で輪切りにされているから、読めばわかる生徒しかいないから戸惑うではないだろうか。

 つまり、この座談会の参加した現役国語教師は現在の国語教育の現場を代表しているとは言い難い。このバイアスがある前提で読むことが必要だ。

 また、

私は、やはり、法律に関する文章や規約などが読める力っていうのは義務教育で身に着けないといけないと考えます。高等学校に進学しない生徒もいるわけですから。それを高等学校に持ち越すことには少し問題があるんじゃないかなと思うのです。

ともおっしゃる。

 正論だ。問題は2つ。

  • 残念ながら義務教育で身に着けるべき能力を高校まで持ち越してしまった生徒に対してどのような教育を行うのか
  • パターンマッチングで高偏差値を獲得し、実は能力を身に着けていない生徒をどのように発見し教育を行うのか

この座談会は、読めばわかる生徒しかいない前提での議論のように見える。それとも、「文學界」が編集したのか?

 高校の予備校化が指摘されて久しい。中学・高校教師は、偏差値を上げること、希望校に合格させることを有料で請け負う塾教師と比較されるから、純粋に生徒の理解、能力の獲得を目標にできない現実はあるだろう。これは、教師だけの問題ではなく保護者の問題でもある。

を読むと、国語の問題に答えるには作品を読む必要はなく出題者の意図を推測することが重要と解説されている。中学・高校の国語教師がこのように指導していないことを期待するが、進学塾に通っていた生徒はこのような対策を行っているだろう。とすれば、偏差値が高い生徒の中には、文章を理解せず高得点を取った生徒が少なからず含まれているのではないだろうか。

 なぜ、高校の国語教師は、この仮定を無視するのだろうか。そして、なぜ、義務教育で身に着けるべき能力を高校で解決せず、大学まで持ち越すのだろうか。

 そもそも「論理」か「文学」かの議論は論点を誤っていると思う。 高校国語学習要領 <問題の所在が誤っている?> (2019/10/11)


読んでも分からない国語の問題



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