最近の若者は文章が書けないという指摘をよく耳にする。それは、実感するのだけれど、少々違和感を覚える。
自分が若かったころを思い出すと、全く文章が書けなかった。上司に「お前の文章は、よく読めば分かる」と言われたときに、多少問題はあるけど分かるのだと安心した記憶がある。「よく読めば分かる」は「ちっとも分からない」の意味だと分かったのはずいぶん後のことだ。
文章を書く能力は就職して身に付ける
文章を書く能力は学校を卒業したら身に付いているものではない。だから、就職直後に十分な文章能力を持っている人は、極めて少ないと思う。そして、それは昔から変わらないのだと思う。
では、昔と今と何が違うのかといえば、ITの発達で、文章を書き始める前に構成を練る機会が減ったのだと思う。昔は、手書きかタイプライタで文章を書いていたが、今時はワープロかエディタだ。手書きやタイプライタで文章を書くと修正が大変だから、頭の中で文章を考えて、推敲してから文字にする。一方、ワープロやエディタで書くときには、とりあえず思いついたことから書いて、編集機能を使って推敲して文章にする。
修飾関係が複雑な文章を頭の中で考えるのは大変だ。短文ではなく修飾関係がある文章を頭の中で考えられるようになると、文章を書けるようになると思う。
働くようになって書く文章には、たいてい目的がある。それが、業務の一部であれば、文章のスタイルや用字・用語に決まりがあるから、それを真似ることから始めて、練習すると仕事で使える文章が書けるようになる。つまり、最初から文章を書ける若い人たちがいるわけではなく、働き始めてから、文章能力を獲得するのだと思う。
働き始めてからしばらく経過しているのに、文章が書けないのは、良い指導者がいないか、自ら学習していないのだろう。
文章を書くための指導者
経験では、拙い文章を添削してくれるのは上司だった。添削してくれるのだが、添削した理由を教えてくれる人はいなかった。いちいち説明するには時間が足りなかったり、経験や暗黙知で添削しているので説明できなかったりするから、無理もないことだ。
しかし、添削される側は、誤字・脱字を除いて、なぜ添削されたかわからないから、何度も同じように添削されていた。そのうち、直されないようにしようとせず、直してもらうことを前提に書いていた。典型的なダメな奴だ。
ダメな方法でなんとか乗りきっていたのだが、他人の文章を添削する側になって困ってしまった。添削に自信はないし、直した根拠を訊かれると答えられない。とうとう、困って文章の書き方本を読んだ。そして、分かったことは、書き方には法則があるということだ。学校の先生も、職場の上司も教えてくれなかったけど、ちゃんと法則があった。
添削した理由を説明する
最近の若い人は文章が書けないと嘆いている人は、他人の文章を添削するときに、直した理由まで説明するとよいと思う。嘆いているだけでは、何一つ変わらない。
他人の文章を添削するときには、よほど時間が無いとき以外は、直した理由を説明している。助詞も明らかな間違い以外は説明している。「の」や「で」は意味が多いので説明が大変だけど、自分のためでもある。
【最近の投稿】【2018の投稿】【2017の投稿】【2016の投稿】【2015の投稿】
最近のコメント