責任 <ごめんなさいではなく、ちゃんとやること>
責任について考えてみた。
- 責任は謝罪することではなく、ちゃんとやること
- 「ちゃんとやる」には能力が必要だから、マネジャになっても勉強が必要
スーパー大辞林によると責任は
- 自分が引き受けて行なわなければならない任務。義務
- 自分がかかわった事柄や行為から生じた結果に対して負う義務や償い。
平たく言うと、1.は「ちゃんとやる」ことで、2.は「後始末」のことだ。ところが、「責任をとる」=「辞任する」や、「説明責任」=「謝罪」で使われることが多い。相手を糾弾したり、叱責する場面で使われる言葉になってしまった感がある。
役職が上がって肩書が付くと、漏れなく責任も付いてくる。そういう人と話をすると責任を持つと言う人が少ない。「責任が持てない」とか「責任に取れない」とかとかく逃げを打つ。つまり、失敗を叱責されたり、攻撃されたり、部下の尻拭いをしたくない。ということだ。
稀に、「責任は俺がとる」という人がいる。立派だ。しかし、その人は「ちゃんとやる」と言っているわけではなく、潔く謝罪すると言っているだけだ。社会人として、潔く謝罪する前に、やるべきことを「ちゃんとやって」ほしいと思う。
なぜ、「ちゃんとやります」と言えないのか考えてみた。
「ちゃんとやる」には能力が必要だ。自分の仕事に責任をもって「ちゃんとやろう」とすると、担当者業務をこなす能力が必要だ。さらに、管理職になれば管理能力やリーダーシップ、マネジメント能力が要求される。
しかし、責任を「謝罪すること」と考えると特に能力は必要ない。問題が起きたら潔く謝罪すれば良い。下手を打つと炎上するけど、潔く謝罪すれば逆に株がが上がることもある。結局、能力がない人は、責任=謝罪しか方法は無いのだ。
違う観点では、責任=謝罪が常識になっている組織は、能力がない者がそのポストに就いているということだ。
現場のマネジャーとヒューマンエラーの話をすると、ヒューマンエラーが原因で被害が発生した後の後始末の話しになる。マネジャーの責任として、後始末は必要だ。しかし、エラーが発生しないように「ちゃんとやる」ことがおざなりになっているのではないだろうか。
「ちゃんとやる」には能力が必要だから、マネジャになっても勉強が必要なのだと思う。
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