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2020年3月30日 (月)

「こころの定年」を乗り越えろ

「こころの定年」を乗り越えろ 40歳からの「複業」のススメ 楠木新 朝日新聞出版

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 こころの定年は、楠木新氏の造語で、

  • 「今やっていることが、誰の役に立っているのか分からない」
  • 「成長している実感が得られない」
  • 「このまま時間が流れていっていいのだろうか?」

 など、「組織で働く意味に悩むこの状態」のことで、会社人生の前半戦と後半戦との切り替えの時期の、40歳過ぎに訪れるらしい。

「こころの定年」を迎える人には、

  1. メンタル不調を伴うタイプ
  2. 満たされない思いを抱えるタイプ
  3. 転職や独立を志向するタイプ
  4. 昇進ができずに立ち往生しているタイプ

があるらしく、「こころの定年」を迎え、社会人人生の前半と後半の働き方を変えられないと、「働かないおじさん」になるらしい。

 これまでの自分の人生を振り返ってみた。

1回目

 技術職で現場で働いてきた。その頃は40歳くらいで昇任して管理職になり現場を離れる人が多かった。技術職のままでは昇任も昇給もないから、管理職になるのが唯一のキャリアパスだった。

 「こころの定年」を迎える頃になって、病気で入院した。幸い命に関わるような病気ではなかったが、手術の前夜に一人考えた。
もし、助からないなら、自分の人生はどうだったか?

 辛い時期やひねていた時期もあったが、好きな事を仕事にして、それなりに評価されていたので、そんなに悪い人生ではなかった。少なくとも思いを残して化けて出るほどではない。これが、好きな仕事ではなくガマンしていたら、悔しい思いをしたのだろう。そうであれば、手術が成功して生きていたら、悔いのない選択をしなければならないと思った。

 当時、人生前半の技術屋根性を引きずったまま管理職になる人がいた。マネジメント能力がないから現場に口を出したり、手を出したりするのだ。現場からすると迷惑この上ない。自分はどうかと自問自答したら、技術に対する思い入れが強いから、昇任しても現場に手を出しそうだったので、管理職にはならず技術職を続ける決心をした。

 昇任も昇給もしない。しかし、死期が迫った時に後悔しなくてすむだろうと思ったのだ。こうして、働き方を切り替えるのではなく、続けることにして、最初の「こころの定年」を乗り超えた。というか、先送りした。

2回目

 50歳のときに、再び「こころの定年」がやってきた。
ポストは変わらず、自分は変わっていないと思っていても、40歳と50歳では周囲から求められることは異なる。

 その頃、職場の雰囲気が変わったと感じた。そこで、マネジメントしようとしたら、権限が足りないことに気付いた。
古い体質だからポストと権限は切り離せない。マネジメントに必要な権限を得るには昇任するしかないと考えて昇任試験を受けて昇任した。

 現場の担当とマネジャーとの役割の分担は10年前に葛藤したので、現場には手を出さず、マネジメントに専念する決心した。こうして、働き方を変えて、2回目の「こころの定年」を乗り超えた。

3回目

 これで定年まで働けると思ったら、定年間際になって、3度目の「こころの定年」がやって来た。

 古い体質の組織は順送り人事だからマネジメントしない(できない)ポストに異動になった。かといって、技術職として現場に戻ることはできない。

 年甲斐もなく考えた。

  • 「今やっていることが、誰の役に立っているのか分からない」
  • 「このまま時間が流れていっていいのだろうか?」

 そして、新しい働き方を見つけることにした。

 3回目の「こころの定年」を乗り越えられるだろうか。



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