22世紀を見る君たちへ <なぜ新井紀子氏の論説を否定するのか?>
22世紀を見る君たちへ これからを生きるための「練習問題」 平田 オリザ 講談社現代新書
平田オリザ氏は
ただ唯一言えることは、きちんとしたエビデンスを出し、さまざまな方策の利点と欠点を明確にしてから議論をするべきだという点だ。これも繰り返しになるが、教育には誰しも一家言がある。しかも自分の経験を押しつけやすい。両論を併記し、いずれの方策にも長所と短所があることをお互いに認めてから、まさに主体的で対話的な議論を進めるべきであろう。
とおっしゃる。賛成だ。
そのうえで、新井紀子氏の中高生の文章読解力が危機的な状況にあるという主張に対して、1つの章を割いて反論しておられる。
新井紀子は「AIvs教科書が読めない子供たち」の中で
Alexは男性にも女性にも使われる名前で、女性の名Alexandraの愛称であるが、男性の名Alexanderの愛称でもある。
この文脈において、以下の文中の空欄に当てはまる最も最適なものを選択肢のうちから1つえらびなさい。
Alexandraの愛称は( )である。
①Alex ②Alexander ③男性 ④女性
という問題の正解率が低かったことを指摘しておられる。この文章は教科書にある注釈からの引用らしい。
平田オリザ氏は注釈に記述された文章は
Alexは男性にも女性にも使われる名前で、ここでは女性の名Alexandraの愛称であるが、男性の名Alexanderの愛称でもある。
であって、新井紀子氏が引用の際に、「ここでは」を無断で省いて引用したことを指摘し、「ここでは」が指す本文まで記述すると正解率は上がるはずだと指摘されるのだが。
エビデンスは?
そこはおいといて、新井紀子氏は「ここでは」が指す本文がなくても、Alexandraの愛称はという問いに答えられる読解力を持つべきと考えていて、今の中高生はその読解力が無いことを指摘しているのではないのだろうか。
つまり、今の中高生が答えられる問題を作ろうとしているわけではないし、正答率が上がる問題を議論しているわけではない。
なぜ、国語や言葉を生業にしている人たちは、全力必死で新井紀子氏の論説を否定しようとするのだろうか? 謎である。
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