オードリー・タン 自由への手紙 <AIとロボット。「それの何がいけないんですか?」>
オードリー・タン 自由への手紙
語り:オードリー・タン
編者:クーリエ・ジャポン編集チーム
株式会社講談社
「生物学上の年齢で人を区別してはいけない」
「その人の生き方や社会的期待に働きかけるべきだ」
オードリー・タン氏は多様性を受け入れなければ存在できないマイノリティー台湾の象徴なのかもしれない。
それはさておき、オードリー・タン氏は、「今後、人間の仕事はAIやロボットに取って代わられるのではないかと危惧する人々がたくさんいる」と問われ
「それの何がいけないんですか?」
と答えている。
また、
AIについての話は労働力や労働の質が本題ではありません。すべては、私たちがどこに価値を置くかによるという議論だと思います。
もしも自主性や相互関係、共有の価値観などを大切にするのであれば、AIは単に補助的知能です。整然として正確に機能する、良いものだと見なされるでしょう。自分を助けてくれるのですから。もしも何か特定のスキルセットこそ、自分と切り離せないものだと考えているなら、AIは脅威となるでしょう。
「この仕事のこの技術こそ、自分である」
それがプログラミングであれ、文章を書くことであれ、データ分析をすることであれ、何らかのスキルセットを重視している場合、ロボットは仕事を奪い去る敵となり、不安が生まれます。
私自身にスキルセットはありません。だから少しも心配していないのです
オードリー・タン氏は、「自分にスキルセットはありません」とおっしゃるが、一般人がスキルセットとして重要視するスキルを簡単に獲得できる能力があるからそう言えるのだろう。 天才ならではの感覚かもしれない。凡才は苦労して獲得したスキルに固執しがちだ。
オードリー・タン氏とは比べ物にならないくらい凡才だけど、実はAIは脅威と捉えていないし、過去に獲得したスキルにも固執しない。
これまで40年働いてきた経験では、スキルを獲得するには時間と金とエネルギーなどのリソースが必要だ。
少ないリソースしか投入できなければ、当然高いスキルは獲得できない。仕事をしながらでは潤沢なリソースは投入できないから、高いスキルを獲得できなかったし、スキルを獲得する前に投げ出したこともある。それでも、獲得したスキルに固執しないのは、他人とは違うスキルを獲得していたからだと思う。
スキルに希少価値があれば、絶対的なレベルは低くてもよい、そして、希少価値がなくなったらそのスキルに固執せず、他の希少価値があるスキルを獲得すればよい。
この戦略を意図していたわけではない。興味の赴くままにと言えばカッコ良いが、生来の好奇心と、飽きっぽさがあったから、普通の人が着目しない隙間のスキルに飛びついていただけかもしれない。
ロボットとAIが普及しても隙間は必ずある。その隙間のスキルを獲得すれば良いのだ。歳を取ってもそれは可能だと思う。だから、ロボットとAIは大歓迎だ。
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