不屈の棋士 大川慎太郎 講談社
★ アマチュアより強いというだけではプロ棋士として存在できなくなるのと同じように、教えられたことを真面目にこなすだけでは、労働者として存在できなくなる。
〇人工知能?
昨今何かと、人間vsAI(人工知能)という切り口で語られることが多い。しかし、現在のAIは知能ではなく単に過去の大量のデータに基づく推測だ。自ら何かを創り出しているわけではない。
インタビューの中で棋士から「新手」という言葉が多く出てくる。
ソフトが指す「新手」は膨大な候補手からこれまで着目されていなかった一手を発見したという意味だ。一方、棋士が指す「新手」は自らが創り出した一手だ。
既に存在するものの中から見つけるのか、存在しなかったものを作り出したのか、この差は大きい。例えるなら、無名の画家を見つけ世に出す画商と無名の画家との関係に似ている。創造しているのはいうまでもなく無名の画家だ。
ソフトが棋士を上回ったという評価を受け入れられないのかもしれない。
〇AIvs棋士
世間は、人工知能 対 人間という文脈で捉え、その代理戦争としてAIvs棋士の対局を見ている。しかし、将棋ソフトはSFに登場する人工知能には遠く及ばない。ドラえもんを考えると、将棋ソフトはドラえもんを構成するごく一部のパーツにすぎない。(おそらくドラえもんの意思決定には、将棋ソフトの手法は用いられないだろう)
電王戦の報道でマス・メディアは、DENSOのロボットと棋士が対局している映像を流した。気味が悪い絵面だがインパクトはある。しかし、機械vs人間になってしまった感がある。
AIvs棋士ではなく、将棋ソフトを作った人vs棋士という文脈で評価するのが適当だ。しかし、それでは興行的にウケないので、ソフトを人工知能に仕立てた方が儲かるから仕方がない。
インタビューの中で登場する、ボナンザの作者、保木邦仁氏やポナンザの作者、山本一成氏はもっとフォーカスされて良いと思う。多くの棋士がソフトとの対局を異種格闘技に例えるが、プロ棋士とプログラマーとの闘いだからそう感じるのは当然だろう。
もう一方の主役は機械ではなく、プログラマーなのだ。
〇自力
棋士にも、ソフトを積極的に使う人、消極的に使う人、拒否感を示す人がいる。
インタビューを読むとプロ棋士は「自力」にこだわるようだ、盤に向かうと誰かに助けてもらえないから自力で解決することが身に染みているのだろう。
年齢によってソフトの捉え方が異なるようだ。ソフトは人間が作ったツールで、それ以上でもそれ以下でもない。ツールであれば、本を読んで勉強すること何ら変わりはないから、ツールを使って勉強することに抵抗はないだろう。 ところが、ソフトはツールではなく知能を持つものと捉えると、ソフトを使った勉強は自力ではなくなるのだろう。
〇情報リテラシー
情報リテラシーが影響しているのかもしれない。
将棋ソフトは単にプログラムでそれをツールとして使うのは若手棋士に多い。一方、将棋ソフトは人工知能で、将棋を教えてくれる人格を持った存在して扱うのはベテラン棋士に多い。
将棋ソフトはツールで、自分が考えるための道具や環境と考えていれば使うことに躊躇はないだろう。未知の一手を発見するのは自分だから。 ところが、将棋ソフトを知能や人格を持ったものと考えると、将棋ソフトが示す新しい一手は、人工知能が知っているのだから未知ではなくなる。それは自分が発見したとは言えないから、自力にこだわる棋士は使うことを躊躇する。
若いころから将棋一筋で高等教育を受けず修業をしていたベテラン棋士の情報リテラシーは高くないようだ。最近は大学に進学する棋士も多いようだ。高等教育を受けた方が情報リテラシーを学ぶ機会も多く、将棋ソフトは知能ではないことが理解できるのではないだろうか。
〇一般社会では
工業分野ではAIはロボットと共に使われるようになってきた。工業分野では運動を伴うことが多いのでロボットと共に使われることが多く、将棋ソフトほど知能を感じないのではないだろうか。
AI+ロボットが人間より上手に作業をこなすようになると、人はAI+ロボットに学んで自分の技能を向上させることができるのだろうか?
多くの人は、自分の技能を向上させるより、AI+ロボットを使うことを選ぶだろう。 すると人間は、
- AI+ロボッが作業しやすいように、作業の下準備や環境の整備などの下働き
- AI+ロボットを使う企画やAI+ロボットの性能を上げること
など、AI+ロボットが苦手とする、人間にしかできない考える仕事をやることになる。
ところが、これまでの日本は工業化を進めた結果、考えないで前例やマニュアルに従って作業をしていた人が多かった。AI+ロボットが職場にやってきたときに、これまで考えて仕事をしていない人が、いきなり考える仕事に変わるのは難しい。だから、下働きの仕事をせざるを得ない。ところが、下働きの仕事は人が余るし、賃金は低い。
これがAIに仕事を奪われるということだ。
知らない間にもう来ているAI社会で、仕事を奪われる大人は多いだろう。そうならないように、次の世代のを教育しようというのが、DIGAスクール構想だ。
〇将棋界に学ぶ
将棋界は一般社会と比べて早くAI社会が到来した。
そこで分かったことは、棋士という仕事は無くならないということだ。しかし、これまでのようにプロ棋士になれば一生食べていける時代は終わったようだ。
AIの登場で、棋士はゲーム・プレーヤーとしては最強ではなくなり、ゲームプレーヤとしての価値は低下したから、アマチュアより遥かに強いという理由だけで存在するのは難しくなった。
だから棋士は人間にしかできないことは何かを考えざるを得なくなっているようだ。それは、
- 人間とのコミュニケーションが必要な、指導や普及
- 感情を持った人間同士の対局での勝利
- 棋力の向上
- 後世に残る棋譜を遺すこと
など人様々だ。
その活動の価値を一般人も認めれば、プロ棋士として存続できるだろう。しかし一般人がその価値を認めなければプロ棋士としては存続できない。
一般人にとって、棋士がおかれた状況は、明日は我が身だ。
AI+ロボットは急速に普及する。単純作業の能力はどんなに真面目な人間でもは比べ物にならないから、AI+ロボットに無い人間の価値を考えなくてはならない。
アマチュアより強いというだけではプロ棋士として存在できなくなるのと同じように、教えられたことを真面目にこなすだけでは、労働者として存在できなくなるということだ。
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