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人材育成

2021年9月15日 (水)

コーチに求められること <部下の指導に求められることと同じ>

王者、恐るべし。 水谷隼[対談アーカイブ]石川佳純 <卓球王国2015年8月号より> 2021/07/11

今から6年前の水谷隼氏と石川佳純氏の対談記事。
卓球はやっていないので、卓球専門誌は読むことがない。
水谷準氏が東京五輪卓球混合ダブルスで優勝したことで、検索結果に現れるようになって読むことができた。

引っかかったのは、両氏がコーチに言及している部分。
水谷隼氏はコーチの重要性について問われ

日本にはあまり良い指導者がいない。日本の指導者は甘いし、努力が足りない。指導者になった時点であとは教えるだけで、そこからスキルを上げるという向上心が感じられない。海外の指導者は、指導者になった時点でゼロになって、そこから勉強してスキルを上げていく姿勢を感じることができます。

とおっしゃる。

石川佳純氏はコーチに求めることを問われ

強かった選手でもコーチとしては別だと思います。選手として成績が良くても良いコーチになるとは思わない。私は今の自分のやっていることを言葉にできない。たぶん言うこととやっていることが違うと思うけど、陳さんはそれを言葉にできる人です。私がわかるように教えてくれるし、向上心もすごい。コーチになって終わりじゃなくて、一緒に成長しようという気持ちがすごい。

とおっしゃる。

現在の卓球界は中国選手が席巻している。選手層の厚さ、国を挙げての育成システムなど要因はあるのだろう。
1人や2人優れたコーチがいるだけでは、これだけ継続して、強豪選手を輩出することはできないから、コーチの育成にについても成功しているのだろう。
両氏もコーチを中国から招いている。

対談の中で両氏が指摘している、

  • 自身がプレーする能力と指導力は別であること。
  • 選手と一緒に指導能力を向上しなければならないこと。
  • 感覚として得たことを、言葉にできること。
  • 相手が理解できるように伝えることができること。

は卓球のコーチだけではなく、部下の育成についても当てはまることだ.

水谷隼氏が日本には優秀なコーチがいないと指摘するのは。
好成績を残した人を、無批判にコーチにし、気合と根性に頼る日本の文化に対する批判なのだろう。
これも、卓球界に限らないことだ。

現場で成果を上げた優秀な人が管理職になって精彩を欠く例は多い。
現場で業務を遂行する能力と管理職に求められる能力は異なるのだが、なぜか現場での野力を評価して管理職に登用する。
マネジメント能力を評価して登用しているわけではないから、マネジメントできない管理職が増える。

定年が延長して中高年は、後進の育成を期待されることが多くなるだろう。
重要なことは、指導する内容が明文化できることだ。気合と根性に頼ってはいけない。


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2021年9月12日 (日)

普通は今だけ

「普通」は今現在において必要なことが「普通」なのだと思う。

ICT業界にいると
「普通」の変化の速さを感じる。
出来るようになるより「普通」が変わる方が速くなったりするので
うっかりすると「普通」が2世代くらい進んでいたりする。

昔、といっても20年くらい前だけど、
IPアドレスの理解は不可欠だった。
パソコンをネットワークに繋ぐためにはIPアドレスを設定しなければならなかったからだ。
ところが、今時はデバイスをネットに繋ぐためにIPアドレスを理解する必要はないし、設定する必要もなくなってしまった。
でも、今も昔もICT技術者ならば知っているのが「普通」だ。ICT技術者としてそれは今でも必要不可欠だから。

若い人たちを相手に
研修しているいると、前の世代の「普通」をどこまで教えるか迷うとことが多い。
年寄りが昔の「普通」にこだわっていると、若い人たちが覚えるべきこと、できるべきことがどんどん多くなって覚えることできることが溢れてしまう。

経験では、
たくさん覚えても使う機会は少ない。
知らないより知っておいた方が良いくらいで、年寄りの「普通を」無批判に受け入れていると、本当に必要なことが分からなくなったりできなくなったりする。

昔の「普通」は教えてくれる年寄りは多いので比較的覚えられる。
ところが、新しいことは教えてくれる人がいないので、自ら調べ、自ら考えなくてはならない。
だから、昔の「普通」を覚える労力はそこそこにして、新しいことを覚えることに労力を割くべきだ。
それは、一生続くのだから。

同じ年代が集まって
「昔は良かったよね」「最近若者は...」は盛り上がるけど、
内輪話にしておいた方がよさそうだ。

「普通」は今現在において必要なことが「普通」なのだと思う。


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2020年12月21日 (月)

即戦力人材より貴重な人材

★即戦力人材より貴重な人材は暗黙知を形式知にできる人

 転職して3月、1人で客先に行く事が多くなった。 半年前に入社した人は、研修期間1か月だったらしい。

 仕事に必要な要素が知識、技能、ノウハウだとすると。それぞれ必要なレベルに達するまで研修や訓練が必要になる。

 知識+技能+ノウハウ(コツ、暗黙知)

知識
 知識はマニュアルやFAQなどで補うことができる。ICTを活用すると効果的だ。

技能
 技能は一定の時間がかかる。身体的な要素が大きいから理解できてもできない。練習や訓練が必要だ。 かけ算の理屈はわかっても九九がスラスラ言えるようになるには練習が必要なのと同じだ。

ノウハウや暗黙知
 ノウハウや暗黙知の習得には経験が必要だ。 言葉にならないノウハウや暗黙知をを獲得するには、体験から学ぶしか方法は無いから。

即戦力人材
 即戦力人材を見つけるには、知識と技能とノウハウを持った人を探せばよいが、そう簡単には見つからない。 同業他社からスカウトするのが簡単そうだが、現状以上の待遇が必要だろう。 現状と同じか現状以下でスカウトすると長く続かないのではないだろうか? 政府がIT関連の施策で民間人登用と称して待遇を考慮せず公募しているのをよく目にするが、長くは続かないと思う。

そう、多くの人が、即戦力人材はニホンカワウソと同じだと知っているのに、探しているのだ。

早期戦力化人材
 しかし、早期戦力化できる人材はニホンカワウソより沢山いる。 知識を習得する速さ、技能を習得する速さ、暗黙知を獲得する速さが速い人は早期戦力化しやすい。
 知識を習得する速さは、学校などの成績(偏差値)や資格が指標になるだろう。
 技能を習得する速さは競技経験(体育会系)や芸事経験が指標になるかもしれない。

 知識や技能の習得には適性(センスの良し悪し)がある。
センスの良い人は、知識の習得が速かったり、技能の習得が速かったりする。 往々にして、センスの良い人は、習得方法を言語化しなくても習得できるから、暗黙知を形式知にするのが苦手だ。 だから、自分を超える後進を育てることができない。

暗黙知を形式知にする能力
 注目すべきは、知識や技能を習得した経験を言語化できること、つまり言葉で説明できることは重要だ。暗黙知を形式知にすることができる。

結論
 即戦力人材より貴重な人材は暗黙知を形式知にできる人、暗黙知を獲得する速さが早い人だと思う。


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2020年7月20日 (月)

職人技の8割は言語化できた

職人技の8割は言語化できた。職人の父vs仕組みの息子。社運をかけた親子喧嘩5年。売上は9倍に BizHint (2019/12/20)

小記事で取り上げられている東田ドライは、カンブリア宮殿でも放送していた。

「職人技の8割は言語化できた」を考えてみた。

  • 職人技の言語化は難しいが、第3者が協力すれば言語化できる。
  • 職人技を言語化しても、職人技を超えることはできない。
  • 職人技を売りにするなら、自ら成長できる人を育てなければならない。

職人技のマニュアル化について、
東田伸哉氏は

「職人仕事」と呼ばれているものの大半は、精神的な障壁で「難しい」と思い込んでいるだけだと思います。 言語化して丁寧に教えれば、その85%は職人でなくてもできました。とはいえ、「言語化」と「教育」はとても難しかったです。

とおっしゃる。

「職人技」が「難しいと思い込んでいる」人は多い。実際のところは、やはり「難しい」と思う。東田伸哉氏が指摘するように、職人が何気なくやっている、言葉にならない暗黙知を形式知化するのは、とても「難しい」。

だから、

言語化は、職人だけに任せませんでした。 「職人が他のスタッフに教える」という機会を作り、教えられたスタッフのほうが職人の言葉や仕事を「言語化」し、マニュアルに落とし込む。それを職人がチェックする形に落ち着きました。何より、職人にしかわからない言葉ではマニュアルになりません。また一方で、「教えたらできる仕事だった」ということを職人側に認識してもらうことができました。

のように、他の人が言語化する他に方法はないのだろう。

ただし、
これはあくまでマニュアル化だ。マニュアル化は悪く言えば劣化コピーだ。

 「職人技」は自然にできるようになったわけではない。職人が試行錯誤しながらできるようになったのだ。
試行錯誤には効果がある試みもあるが、効果がない試みもある。そして、覚えているのは極わずかの効果があった試みで、その裏にある膨大な効果のなかった試みは覚えていない。暗黙知はこの膨大な、覚えていない、効果がなかった試みも含んでできている。だから、形式知化が難しいのだ。

 「職人」は古い技術を固くに守る頑固者のようなイメージがあるが、「一生修行」と言う職人は多い。職人の多くは、今でも試行錯誤しながら成長し続けているのだ。残念ながら、マニュアルは成長を約束するものではないから、「職人技」を超えるのは「難しい」。

経営効率を考えると、
マニュアルが劣化コピーであったとしても、多くコピーできるから、全体の生産性は上がる。しかし、「職人」しかできない仕事がなくなるわけではない。

もし、「職人技」を売りにするなら、
試行錯誤して「自ら成長できる人」を育てなければならない。そのときに言語化された職人技が役立つ。きっと、その人が次の「職人」になり、組織が持続できる。


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2020年3月 9日 (月)

組織の器を超えた人材を引き止める術はない <「ラスト一滴の前」「無難な口実の向こう」に応える>

採用するより育てるほうが何倍も難しいってこと、わかってませんよね。 (2020/03/02)

 柴田朋子氏は、退職理由はに多い「給料が安い」「休みがない」「残業が多い」 は「もろもろある原因のラスト一滴のようなもの」で、「他の仕事がしたい」「田舎の親が介護が必要で」「学校に行きます」は「無難な口実」にすぎないとおっしゃる。

 長く生きていると、辞めたいという相談を受けることがある。その時に「ラスト一滴」や「無難な口実」を解消する方法を提案しても決心が翻ることはない。

「ラスト一滴」や「無難な口実」は低次の欲求が多いようだ。しかし、「ラスト一滴の前」「無難な口実の向こう」は高次の欲求だ。だから、「ラスト一滴」や「無難な口実」の解決策を提案しても翻意することはないのだろう。つまり、金にはなびかないということだ。

 柴田朋子氏がおっしゃるように、都会では採用するより育てるほうが何倍も難しいのは事実だ。(田舎では育てる人が採れない)育成の甲斐あって有能な人材に育ったものの、「ラスト一滴の前」「無難な口実の向こう」に応えられないことはあって、相談を受けた自分の無力さを痛感する。

 「ラスト一滴の前」「無難な口実の向こう」にどれだけ応えられるかは「組織の器」決まるから、有能な人材に育って組織の器を超えた人材を引き止める術はないし、もともと、「組織の器」が小さいなら引き留めることはできない。

 「組織の器」を大きくすれば良さそうだ。しかし、組織の器を大きくするのは、有能な人材を育成するより難しいと思う。組織はトップの器以上にならないらしい。

 それでも、中間管理職は自分の器を大きくすれば、少なくとも部下の「ラスト一滴の前」「無難な口実の向こう」に応えられる。



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2020年3月 3日 (火)

今時の人材育成を考えた

デジタルイノベーション2020で人材育成関係のセミナーを聞いてきた。

◯DX(digital transformation)
 何でもDXに関連付けるのが今時だ。DX単にITの活用と違うのは、改善ではなく改革であるということ。

 規模拡大の局面での教育・訓練は受講者個人の能力向上は少なくても、多くの受講者に教えることが重要だったから、教える側主体の学校形式が有効だった。研修を受けただけでは業務で使えないから、受講後は自助努力とOJTに頼ることになる。だから、業務に必要な能力を獲得するまで長い期間が必要だった。

 ところが、縮小局面では、多様なニーズに応えることや次の事業を速く立ち上げなくてはならないから、学習したことを業務で使って成果を出すまでの期間を短縮しなければならない。できなければ、手遅れになる。教育・訓練は受講者の要望に応じて行う、受講者主体の教育・訓練が必要だ。

 自分の部署を観察すると、最近の状況は規模拡大の局面ではなく、縮小の局面だ。しかし、研修はほとんど集合研修で、一方的に詰め込む形式の拡大局面の研修しかできていない。

 現場ですぐ使えることを教えるべきだと言う人もいるのだが、
今時、全ての現場で必要とされていることがあるのか? 現場ごとに必要とされている能力は違うのだ。しかも、「5年後にはできるようにまります」では遅すぎる。

 だから、学習から実戦投入までの期間を短縮しなければならない。

 人材育成担当は、実現に必要な具体的な方策を考えなければならない。


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2020年2月28日 (金)

中間管理職の育成


あなたの会社では「中間管理職の育成」を一日こっきりの「神隠し研修」に委ねていませんか? 立教大学 中原淳研究室 (2020/2/3)

研修以前に「変な奴」を許容する組織風土が必要だ。

中原淳氏は

 1日の研修にでたら、「イケてない管理職」の「目」キラキラとしたものと変わり、「よい管理職になること」は、まずないのです。そんな「神隠し研修」はありません。

とおっしゃる。これは正しい。

 昔、中間管理職研修を受けたとき講師の先生が「この研修で心を改めても、自分の職場で行動を変えてはいけない」とおっしゃった。
部下はせっかく上司に適応しているのに、上司が研修で心を改めて行動を変えると、部下は適応し直さなければならない。これは大きなストレスになるので行動を変えてはいけないのだと。

 中原淳氏は、管理職の育成には、「挑戦的な仕事」と「フィードバック」、給与制度・評価制度の改善が必要だとおっしゃる。もう少し抽象化すると、

  • 能力の獲得・向上方法と
  • 動機付け

だろう。

 能力の獲得・向上方法について組織的に実施すべきことはおっしゃるとおりだ。

 難しいのは「動機付け」だ。中間管理職に限らず、成長しようと思わなければ、どんな研修やサポートを受けても成長しない。だから、中間管理職自身が成長しようと思う動機付けが重要になる。

 中原淳氏は、中間管理職が成長しようとする動機付けとして、給与制度・評価制度の改善を挙げておられる。これらは、欠乏動機に働きかける方法だ。金銭は低い階層の欲求だから色々な人に使える。おそらく、この記事が想定している読者は、中間管理職が金銭的な欲求を持っている組織の経営者なのだろう。

 では、古い年功序列の組織ではどうか?
年功序列の組織でも、金銭的な欲求はある。特に若い世代には金銭的欲求がある。ところが、中間管理職くらいになると、金銭的欲求を諦める。マズローの5段階欲求説によると、高次の欲求が生まれるのは、低次の欲求を満足した時と低次の欲求を諦めた時らしい。つまり、年功序列を受け入れると、金銭的欲求を諦めるのでポストの欲求が生まれてくる。

 年功序列型の組織でしばらく働くと、成果や能力が給与に反映されないから、金銭的欲求を諦めてポストの欲求を持つようになる。だから、評価制度を改善して成果や能力がポストに反映されるようになれば、動機付けになるだろう。

 しかしである、
年功序列型の組織では、ポストは成果や能力に関係なく与えられる。年功序列型の組織ではしばらく働くと、このルールの縛りから逃れられないことに気づくから、ポストでは動機付けにならない。

 成果は給与に反映し、能力はポストに反映するのが良いとされている。ところが、この方法は年功序列と相容れない。年功序列型の組織の前提は長期間働いた者の方が能力が高く成果をあげることが前提になっているからである。今時、この前提が正しいのは、伝統芸能くらいだけど。

 つまり、年功序列型の組織では、成長の動機付けができない。
だから、組織(管理職)は、1日の神隠し研修で中間管理職の能力が向上する[こと]にしたいと思う。研修で能力が向上しないのは個人の資質の問題にできるからだ。こうして、神隠し研修がはびこってしまうのだろう。

 では、諦めるしかないのか?
方法はある。低次の欲求を諦めると高次の欲求が生まれるから、承認欲求さえも諦める者がいれば、自己実現欲求が生まれる。自己実現欲求は欠乏欲求によらない成長動機だからムチもアメも必要無い。

 成長動機を持った者に対して、「挑戦的な仕事」と「フィードバック」を与えると中間管理職以上の能力を持つことができるだろう。ところが、金銭的、ポスト的な欠乏欲求を諦めて、自己実現欲求を持っている者は、組織の中では、いわゆる「変な奴」だ。だから組織的に育成できない。自然発生した「変な奴」に機会を与えて、管理職に必要な能力を獲得・向上させて、しかるべきポストに登用すれば組織が変わるかもしれない。

 「変な奴」が成長動機を満足する仕事を与えられるかにかかっている。少なくとも「変な奴」を許容する組織風土は必要だ。

 年功序列型の組織では、これが一番難しかったりする。


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2020年2月24日 (月)

デンソー、第45回技能五輪国際大会においてメダルを獲得

デンソー、第45回技能五輪国際大会においてメダルを獲得 (2019/8/28)

 ちょっと古いけど、技能五輪国際大会でデンソー社員が金メダルを始め5個のメダルを獲得したそうだ。日本は「ものづくり」を海外にシフトしているけど、メダルを獲得したのは日本の選手が多い。

 なぜ、デンソーは国内でものを作らないこのご時世に技能五輪にこだわるのか? 正直違和感がある。↓に答えがあった。

[デンソーの技能五輪への取り組み](https://www.tetras.uitec.jeed.or.jp/files/data/201402/20140205/20140205.pdf)

 人材育成を継続的に進めてきた結果, 現在も修了者が技能やデンソースピリットの伝承者 として各職場で重要なポジションを占め活躍してい る。 今後も継続的に取り組みを進めていくことが, 当社の人材育成となり,ものづくりの力を継続に向 上させていくことになると考える。

 「ものづくり」にこだわること、それを体現するために技能五輪に出場すること、そして何より、組織をあげて出場する若者に金メダルを取らせることには、理由がある。

 選手は決して物見遊山で競技会に出ているわけではないようだ。会社は「成績は振るわなかったけど勉強になったからいいか」では満足しないようだ。

 スピリットの継承にはコストがかかる。だから本気にならなければ継承できない。


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2020年2月22日 (土)

デジタルイノベーション2020 <時代にあった教育・訓練が必要>

デジタルイノベーション2020で人材育成関連のセミナーを聞いてきた。

会場は東京タワーの近くのザ・プリンスタワー東京、セミナー会場はA~EとX、Wの11会場。

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 セミナーを聞いて自分の部署の研修を考えた。内容はともかく、部門の規模が拡大しているときの研修から変わっていないので、そもそも、時代にマッチしていないと思った。

 企業にしても、企業内の部門にしても、規模拡大の局面での教育・訓練は受講者個人の能力向上は少なくても、多くの受講者に教えることが重要だったから、教える側主体の学校形式が有効だった。研修だけでは業務で使えないから受講後は自助努力とOJTに頼ってきたから、業務に必要な能力を獲得するまで長い期間が必要だった。

 ところが、縮小局面では、多様なニーズに応えることや次の事業を速く立ち上げなくてはならない。だから、学習したことを業務で使って成果を出すまでの期間を短縮しなければならない。教育・訓練は受講者の要望に応じて行う、受講者主体の教育・訓練が必要だ。

 自分の部署を考えてみると、最近の状況は規模拡大の局面ではなく、規模縮小の局面だ。ところが、研修はほとんど集合研修で、一方的に詰め込んでいる。規模拡大局面の研修しかできないのだ。

 現場ですぐ使えることを教えるべきだと言う人もいるのだが、このご時世、全ての現場で必要とされていることなど無い。現場ごとに必要とされている能力は違うのだ。しかも、「5年後にはできるようになります」では遅すぎる。

 だから、学習から実戦投入までの期間を短縮しなければならない。そのために、人材育成担当は、実現に必要な具体的な方策を考えなければならない。


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2020年1月25日 (土)

人が育つ会社とは <実務に直結する課題であること>

No.278:人が育つ会社とは?やる気に溢れる会社とは?その条件を確認する

人が育つ条件は

  • 「実務に直結する課題であること」
  • 「具体的なアウトプットを迫られること」
  • 「その課題を自分事として受け止められていること」

だという。そして、

人を育てることが下手な会社は、この3つが出来ていません。
「実務の課題を与えていません」・・・多くの外部研修はこの典型となります。さらに進むと、『教育のための課題』をつくり出すことまでします。具体的な成果を求められないプロジェクトや委員会も、これに入ります。

「具体的なアウトプットを求めない」・・・それを行わなくても、レベルが低くとも、「お客様に怒られる」、「職場に居づらくなる」という、切羽詰まったものはありません。当然、「必死さ」は無くなります。

「自分はあくまでも上司のサポート役」・・・その結果責任は、上司にあると考えています。または、本人は「丸投げ」されたと思っています。

だとおっしゃる。

 教育は目的ではなく、目標を達成するための手段だから、目標や課題が明らかでない場合、教育は無意味だ。

 今の部門は20年前にできた、組織の成長期には課題は明確だった。しかし、成長期が終わると、組織が拡大できなくなったり、止めなければならない習慣も出てきたり、価値観が変わったりする。

 それに伴って課題が変わってきている。それでなくても、世の中は大きく変わろうとしている。

 20年前の課題は今現在、業務に直結していない。

 だから、人が育たないのかもしれない。


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