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技術者のマネジメント

技術者のマネジメント

1. マネジャと技術者の関係

 技術者のマネジメントを例えるならば、蕎麦打ち名人のおやじしっかり者のおかみさんだ。

 蕎麦打ち名人のおやじの技能は高いが、自分が納得できない仕事はしない職人気質。
 しっかり者のおかみさんは、職人気質のおやじのマネジャ。

 昼飯時店が繁盛しているときに、お得意さんから出前の注文が入ったとする。
 お得意さんは当然「どれくらいかかる?」と聞いてくる。
職人気質のおやじは、時間がないと納得のいく蕎麦が打てないので「この忙しいのに、すぐにできるか」と言う。

 いくらお得意さんでも「いつできるかわかりませ
ん」では、当然「じゃあいいです」となるので、しっかり者のおかみさんは、おやじの言うことを聞かず「30分くらいで、できますよ」という。おやじの仕事ぶりを知ってい
るからだ。

 もし、30分で蕎麦が打てず催促の電話があったら「今出前が出たところです」などと言いながらおやじを脅したりすかしたりしてそばを打たせる。

 顧客に対しては、 マネジメントしている技術者の力量を考慮して、サービス提供までの期間を示す。一方でマネジメントしている技術者には満足できる仕事をさせる。もし、期間内にサービスが提供できないときのクレーム処理などのリスク管理を行う。

 重要なことは、おかみさんおやじのマネジャだがボスではないということである。

 マネジメントは機能、職階(ボス)は権限。古い官僚組織ではマネジメントと職階を切り離すことができない。切り離すことができないにもかかわらず、マネジメント能力を職階を上げるための要件にしない。管理職の生産性が問題になっている原因である。

 成果を「組織または個人の目的に至るために設定した目標を達成すること」

と定義すると、

 技術者のマネジメントとは、「マネジメント対象の技術者に成果をあげさせること」

である。

2. マネジャとスキル

 技術者をマネジメントしようとするとすると、技術に関する知識とマネジメント・スキルが必要だ。技術に関する知識も無くマネジメント・スキルもな
いマネジャは論外として、技術に関する知識もありマネジメントもできるマネジャ(しっかり者のおかみさん)はなかなか見付からない。

 たいていは

  • 技術に関する知識は無いがマネジメントはできる
  • 技術に関する知識は有るがマネジメントはできない

だ。この2つのパターンについて考えてみると、

  • 技術に関する知識は無いがマネジメントはできる
     このタイプのマネジャが本当に困ることは、技術が理解できないことではなく、技術者の力量の評価ができないことである。
     マネジメント対象である技術者を自分で評価できないので、与えられたリソースが分からない。
     成果を数値目標で測ると技術が分からなくても成果は評価できるようになるので、成果主義を取り入れるが、それが原因で魅力的な製品が造れなくなって経営が傾くメーカが見受けられる。 
     
  • 技術に関する知識は有るがマネジメントはできない
     典型的には技術者上りでマネジャになったタイプ。顧客意識、目的意識が低く局所最適になる。
     官僚型の組織では、マネジメントに関する組織的なトレーニングを行わず、マネジメント能力は昇任の際に考慮されない。経営層や経営幹部が直接マネジメントしようとするがマネジメントでなくコントロール(単なる管理)になることが多い。

 後者のパターンについて考えてみると、マネジメントに関する知識は自力で得ることはできるが、知識があったとしても実戦を踏まなければ満足なマネジメントができるようにはならない。これは技術の修得と同じことである。

 マネジャとして経験を積んでいる未熟な期間は組織的なサポートが必要だが、元技術者の集団では十分なサポートが受けられない場合が多い。サポートされたことがない者は他人のサポートができない。その結果、マネジャの能力は自助努力したか否かで、

  • 技術に関する知識も有り、マネジメントもできる
  • 技術に関する知識は有るがマネジメントはできない

という2つのタイプに分かれる。経験的には後者の方が多いような気がする。

 これが原因で、負の連鎖が起こり、「技術に関する知識も有り、マネジメントもできる」マネジャが育たない。

 「技術に関する知識も無くマネジメントもできない」マネジャは論外と冒頭に書いたが、

「技術に関する知識は無くマネジメントはできる」ように見えるが実はマネジメントではなく管理をしているだけの「管理者」

「技術に関する知識は有るがマネジメントはできない」ように見えるが実は今時の技術に付いて行けない「技術者くずれ」

が一定確率で存在する。

3. マネジャからテクノロジストへ

 ドラッカー先生が仰るとおり、マネジャは専門家(技術者)の翻訳家でなければならない。
翻訳家になるためには、専門家を客観視する必要があるので、専門家から離れられない人は翻訳家になれない。つまり、技術者から離れられない(技術者気質の抜けない)人は技術者のマネジャにはなれず、「技術者くずれ」になってしまう。

 中高年の人を見ると、心太式にマネジャに仕立てられ、技術者気質が抜けない人が多いので、マネジメント対象の技術者(部下)を客観的に見ることができないようだ。
当然、技術者のアウトプットの翻訳ができようはずもなく、技術者のマネジメントができない。

 技術者のマネジャは顧客のニーズと技術者のアウトプットをマッチさせる仕事でもある。技術者だけでなく、顧客も客観的に見る能力が必要だが、技術一筋で仕事をしてきて、ある日からマネジメントを求められても顧客も技術者も客観的実見ることができず、技術者のマネジメントができない。

 技術者の能力を成果に繋げるためには、技術者のマネジャが必要だ。そのためには、若いうちから、マネジメントを学ぶこと、若い人達にマネジメントの訓練をすることが重要である。

 顧客と自分自身を客観視すること。技術者的満足ではなく顧客の要求を満足することについて訓練する必要がある。

 技術で喰っていく決心をした者、生涯技術者を目指す者はマネジメントに興味がない者も多い。将来マネジャになる、ならないは別としても、マネジメントを学ぶことでセルフ・マネジメントできる技術者、テクノロジストになることができる。

4. 管理者からマネジャへ

 今時の技術に付いて行けなくなり管理(コントロール)しかしていない「技術者くずれ」の人も、「成果」を上げるためのマネジメントを学ぶことはできる。

 負の連鎖を断ち切り、技術者集団をマネジメントし成果をあげられる組織にするために、管理者はマネジメント対象の技術者と共にマネジメントについて学ぶことが必要である。


2014/12/1, 2015/4/7

マネンジメント エッセンシャル版 -基本と原則 P.F.ドラッカー(著)上田 惇生(訳) ダイヤモンド社
(https://yoshi-s.cocolog-nifty.com/cpu/2014/11/--25b9.html)

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